59−1.2003年3月3日「くにさき」呉配備「平和船団」抗議行動(1〜10)

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 今から「平和船団」出すところ(午後雨はあがった)。この日の行動については、最後、36番の後ろに、湯浅さんの呼びかけ文を読んでください。

今(3月3日10時40分)湯浅さんより報告が入りましたのでこのページの下に載せました。

呉港がどんどん軍港として強化される中で、何の抗議の声も無い状態を生み出したらピンチ、との思いで、撮影者は(おそらくみなさんも)連日の行動で睡眠不足になりながら、必死で行動に参加し、写真を撮りました。

中国新聞ホームページ(ピースリンク掲載なし) 朝日新聞ホームページに記事が出ています

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 いよいよ「平和船団」の出発、6艘11人
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 あれに見えるは「くにさき」じゃないか
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 さあ出来るだけ近づいて抗議の声を。Kさんマスクしているのは花粉症のためで、決して顔を隠すためではありませんので誤解のないように。
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 戦車揚陸艦「くにさき」。まっすぐやってくる
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 海上保安庁が中に割って入る
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 この近くに「くにさき」は入ってくるはず
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 戸村さんから写真での報告がありました。私なりに整理したものをお送りしておきます。(湯浅一郎)

   朝起きると雨である。本降りだ。これは参ったな。10時30分、呉YWCAへ。雨の中でも、とにかく海上にでるしかない。
Fさんが「今日やるの」と電話してきた。「やります」。昨日は、移動性高気圧のもと、快晴になり、人文字が大成功だったのに、今日はなんと言う天気なのか? 「誰か雨男がいるのでは」と冗談を言っていると、昨日の広島の人文字行動に参加した、関西共同行動の和田さんが来られた。
揚陸艦「おおすみ」の3番艦である「くにさき」が呉に配備されることに抗議するため、残ってくれたのだ。本当にうれしく、またありがたいことである。
 N,Hさんとボートの積み込み。雨のため、正味の時間を短くしようと言うことになり、11時40分、YWを出る。潜水艦基地前で、11時50分から12時40分まで準備。何とか11人が集まった。なぜか、公安が多い。基地前だけで20人以上。この頃になり、あめは小ぶりに。やっと、6隻のボートができ、11時50分、全員が海上に。
時間がないと言うことで、とにかくFバースに向かった。左前方の沖合いに「おおすみ」型の艦船が見える。もしかして、あれか。Oさんが艦番号をよみあげた。
「4003」だよ。それだ。きょう配備される「くにさき」である。しかし、Fバースの周りには、艦船が多く、停泊できる空間はない。「もしかして、昭和埠頭か?」。気づいた時は遅かった。デモ届出は、昭和埠頭まで行くコースを取っていないのだ。はかられた。こんなのは初めての経験である。派兵、配備は、すべてFバースで行なわれてきたのに。たしかに、揚陸艦の桟橋は、昭和埠頭にされていることは、わかっているが、儀式を行なう場所はFバースだったのだ。
 仕方なく、Eバースの前で、何回も旋回し、「くにさき」に向けて、「くにさきの配備反対」「呉を揚陸艦の巣にするな」と抗議を繰りかえした。1時45分頃、練習艦の乗員と見られる将校たちが、自分の船に戻ってきた。歓迎の儀式は終わったらしい。ここで、自衛官に向け、「くにさき」配備の意味と、海外派兵が日常化している事態を変えるために、自衛官からの反戦の声が必要であることなどを訴えた。


 「くにさき」配備により、呉には3隻の戦車揚陸艦と6隻のLCACが配備されることになる。空母のような外観をした艦船が呉港に3隻も居並ぶ姿を想起するとき、呉基地の機能強化を象徴するものとして、断じて容認できない。「おおすみ」の配備以来、私たちは、一貫して「おおすみ」型の艦船を保有することの、憲法や自衛隊法に照らしての違法性を訴えてきた。防衛庁は、「輸送艦」と称しているが、軍事的実体はLST(Landing Ship Tank)、つまり戦車揚陸艦である。LCAC(LandingCraft Air Cushion)という高速で走る現代版強襲上陸用舟艇を使用して大型戦車を海外の地に強襲上陸させる能力を持つ、戦車を上陸させるための、きわめて攻撃的な艦船である。そもそも専守防衛を旨とする自衛隊が、海外侵攻ができる能力を備えた軍艦を持つこと自体が既に本来の枠を踏み外している。「くにさき」配備で3隻体制になれば、LCACの隻数で言えば、海兵隊の強襲上陸を敢行するために佐世保に配備されている米海軍のドック型揚陸部隊と同じ隻数になる。
 現在、二番艦である「しもきた」は、対テロ特措法に基づき、米軍の物資輸送を名目としてカタールへ派兵されている。アメリカが、イラク周辺に20万人もの軍隊を集結させ、イラクが白旗を揚げない限り、武力攻撃に入るという姿勢を崩していないという緊迫した情勢の中で、日本政府は、米軍の物資を輸送する目的で、「テロ対策」を口実としたアフガン戦争の後方支援部隊として、タイ国の重機などの輸送のため戦車揚陸艦「しもきた」を派兵したのである。揚陸艦の派兵は、先のイージス艦と同様、日本の戦後史を画する重大事態である。海外侵攻ができる能力を持った艦船を、戦時下において海外に派兵することは、「物資の輸送」と言えども絶対に許されることではない。戦車揚陸艦の出動は、先のイージス艦の派兵に加えて中国、韓国を初めとしたアジアの国々に強い警戒心を呼び起こしている。そうした中で、三番艦の「くにさき」が呉に追加配備されたのである。


 14時前、海上デモを終えて、上陸。広島の足もとの呉基地には、いよいよ空母の形をした3隻の艦船がそろうこととなった。
すでに「対テロ特措法」によって、インド洋、アラビア海に派兵されているが、いざ、事が起きれば、揚陸艦は交代で「戦争協力」に従事することになる。真に「戦争反対」なのであれば、広島県の戦争協力を問うべきである。しかしマスコミは、ほとんど関心がない風である。事態の真相を告発する作業は、未だ究めて不十分である。
 昨日の人文字行動をどう評価するかは、じっくり考察する必要がある。個の主体的な意志が、「人文字」の一部を自ら担うという共通の思いを作り出し、世界に向けて、被爆地広島から「反戦とDU禁止」を訴えた意義は計り知れない。そして、広島に置ける平和運動のあり方にも大きな影響を与えることは想像に難くない。新しい時代の始まりを予感させるものでもある。しかし、その考察において、広島の現実にどう向き合うのかと言う問題領域も絶対に忘れるわけにはいかない。「くにさき」配備は、あまりにも予期せぬ形で迎えたとはいえ、この問題の重要性を自覚している主体が極めて限られている現実を忘れるわけにはいかない。