66−1.2003年3月22日、原爆ドーム・繁華街ピースウォーク(1)〜(10)

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戦争突入後3日目にもなると、反対運動も初期から関わっている人達には疲れのためか、かなり参加者は減っていますが、その代わり新しい顔の目立つピースウォークでした。

午後5時原爆ドーム前に集合、いつもながら最初は人数少ないがだんだん増えていきますのでがんばりましょう、との久野さんからの挨拶あり

朝日新聞ホームページに記事がでてました。

人数はどの時点で数えられたのか知りませんが、なにせ統制力の無い市民運動のこと、増減がはげしく35人ということはなかったように思います。

下に左党さんの報告を入れています。

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 良く出来た幕ですね
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 田中利幸 広島市立大学広島平和研究所教授より現在の状況の説明
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 初めての参加者からの挨拶
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 原爆ドーム前を出発、ちょうど逆光だったためで、お見苦しいのは勘弁を。
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見ていただければ、参加者の顔は昨日とはかなり変わっているのが判ると思います

 

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 「そごう」あたりまで逆光のためほとんどいい写真は撮れていません。
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 平木薫さんが前の方で参加を呼びかけました
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(左党修一さんからの報告)

 17時からは、いよいよ人文字メッセージ実行委員会に主催でのピースウォークが開催されました。原爆ドーム前を出発したときは20名余りでしたが、その後、仲間が合流したほか、飛び入りも数名入り、かえってきたときは30名以上に膨れ上がっていました。

とくに、飛び入りで会社員が参加したことは印象的でした。

いままでは、何かしなければ、という思いを持ちつつも、参加に踏み切れていなかったということですが、そうした人が参加しました。

そして、「運動をやっているひととは一生懸命やっているが、一般の市民が参加しにくい部分がある。どうすれば、抵抗なく多くの人に参加してもらえるようになるか、自分も皆さんとともに考えていきたい」と非常に意欲的に意見を述べられました。

なかなかピースウォークへ参加するということは勇気がいる部分もあります。いろいろな参加の形はあると思います。が、飛び入りで、意欲的に意見を述べる人が出るということは画期的です。


また、敦賀市からは明日のリボン行動のためにわざわざ駆けつけたという方もいました。なんと、3・2人文字も、3・15火文字も参加されていたそうです。

今の情勢の下での、ヒロシマの重みというものを感じました。「わざわざ来る価値」がある。それがヒロシマなのです。広島県外の方にそのことをあらためて教えていただきました。

ブッシュは、無法な戦争を準備し、ついに戦闘を開始しました。国連決議などの根拠さえもない、暴挙の極みです。

しかし、それは、世界中の反発を呼び起こしています。何とかしなければ、とおもい、行動する人を間違いなく多数うみました。

物事は、否定的な流れのみではないのです。肯定的な流れを生み出しています。今はたしかにアメリカの無法がまかり通っています。
反戦運動は、アメリカの暴走をこの戦争に関しては止めねばなりませんが、残念ながら止められない可能性が高いといえます。

しかし、アメリカの国家安全保障戦略や、2月のブッシュ演説などを総合すれば、中東を「民主化」するまでブッシュは戦争を続ける気です。それを考えれば、今断固たる声をあげていく必要があります。
今声をあげねば、次の戦争を容認したことにもなりかねません。表現の方法はいろいろあると思います。