69−2.2003年4月20日、イラク戦争犠牲者追悼献花、献花(8)〜(17)

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  下に当日の報告を掲載しています・ 
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4/20 「原爆ドームに 花を持って集まろう」(報告ー湯浅一郎)
     主催:核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
                    
 フセイン政権の崩壊で、実質的に米英が勝ったことで、あたかも『正義の戦争』であったと言わんばかりの世論が、特にアメリカで強まり、それを国際的な世論にしようとしている。圧倒的な軍事力の違いから、米英が勝つことはわかっていた。にもかかわらず、勝てば[正義]になるのか? これにより、「アメリカ国民の安全を保障するためには、アメリカは、先制攻撃をする権利を持っている」というブッシュ・ドクトリンの適用第一号が公認されかねない情勢が強まり、「イラクは始まりであり、終わりではない」との思想が正当化され、更なる先制攻撃戦争が拡大する危険性がでてきた。
今、「イラク戦争の実相」を共有し、<米英の戦争に正義はない>ことを浮き彫りにすることが特に必要である。その声をより大きくすることが、アメリカの「ブッシュ・ドクトリン」の継続を許さない唯一の方法である。
そのために、「開戦から1ヶ月、イラクで何が起きたのか」を明確にし、特に多くの死者がでていることを、決して許さないと言う思いを共有することが重要である。それを、大量破壊兵器による無差別殺戮を経験した広島から発信しよう。
 そうした問題意識から、開戦1ヶ月の20日に、「原爆ドームに花をもって集まろう」と呼びかけた。この間にイラクで起こったことを、できるだけ客観的に捉え、その認識を共有することが極めて大切である。それが、そのままアメリカの戦争を批判し、No Warの強いメッセージになる。この事実を改めて確認し、原爆ドーム前の碑に、花を捧げる行為を、集まった一人一人が思いを込めて行うことで、そのような時間を共有しようと言うわけだ。
 前日からの雨が続いている中、何か重苦しい感じで人が集まってきた。僕は、朗読用の原稿つくりで、18日の夜からかかりっきり。何とかできたのは、当日の10時30分。主に新聞情報をもとに、1)被害の実相、2)準大量破壊兵器を中心とした兵器の使用状況、3)メソポタミア文明の発祥地の破壊、4)在日米軍など日本の関与等の観点を意識して、構成を考えた。京都の青木さんが送ってくれている記事の情報が、とても役に立った。報道されていることだけなので、間違いも含まれているかもしれないが、全体として何がどのように起こっていたのかを浮き彫りにする面では、報道されていることでも十分な面があることを痛感した。とにかく50部をコピーして出かけた。集合時間に大幅に遅れてしまったが、12時40分、原爆ドームに着くと、すでにテントが張られ、テーブルも用意されている。車を移動する時間もなく、そのままにして集会が始まった。マスコミは、テレビ、新聞などたくさん来ている。選挙の開始日なのにすごい。
 1時過ぎ、篠原、小林さんの司会で開会。河合さんと相談して僕が開会の挨拶をした。k−ネット、渡辺さんが音頭をとって合唱。広響の上野さんが『バイオリニスト』として1曲演奏し、献花に入った。上野さんには、献花の間中、バイオリンを弾いてもらった。朗読は吉井さんにお願いした。献花が、早く終わりすぎ、また朗読原稿が長かったため、最後は朗読だけになってしまった。それでも、皆文句も言わずに聞いていてくれた。原爆ドームと言う場所、雰囲気で何とか目的は達成された。それにしても、朗読は時間がかかるものだ。用意した原稿の半分でよかった。献花を終わるに当たり、イラクの戦争で亡くなられた方のことを悼んで1分間の黙祷を行なった。
 この後、熊谷さん、渡辺さんらの『死んだ男の残したものは』朗読と合唱。スピーチとして石井みち子さん(被爆者)、久保さん(講談師の緩急車雲助さん)、Yoshio Leeperさんのお話。更に人文字実行委員会の嘉指さんより、意見広告の反響、今後の取り組みなどについて話してもらった。閉会は河合さんにきちんと締めていただいた。
 献花の頃が一番人がいたが、まあ200-250人と言うところ。悪天候、統一地方選の後半のスタートと言うことを考えれば、まあまあだ。それぞれ思い思いに花を持参してくれたこと、多くの人が色々な関わりをしてくれたことに感謝したい。21日の「朝日」に、参加した人のコメントが沢山載っているのを見て、やって良かったと改めて感じた。
 雨が降ったり止んだりの中、ピース・ウォークに。コースは、原爆ドームから八丁堀に向け電車通りを福屋前まで行き、金座街、本通りを経て、原爆ドームに戻る。
150人ほどで、出かける。k−ネットの皆さんによる歌をメインに歩いた。
 人数は、決して多いとはいえないが、そこそこの人は集まった。開戦1ヶ月を思い起こし、戦争の不当性を確認する作業を共同でできたことは画期的だ。1991年の湾岸戦争の戦争が終結したあと、このような企画を持った記憶はない。