69−3.2003年4月20日、イラク戦争犠牲者追悼献花、献花(18)〜(20)

 (18)  
   

献花中流れていた「朗読」はこの下に。長いけど是非読まれんことを。

 

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 (20)  
 

            

2003/4/20「花を持って原爆ドームに集まろう!」朗読:

      2003年の春、イラクでは・・・ 

      開戦から1ヶ月、イラクで起こったこと
      正義の戦争なんてあるはずがない

 3月20日午前5時(イラク時間)過ぎ、米英軍による対イラク空爆が始まった。
ブッシュ大統領は開戦演説で「米国民とその同盟国は、大量破壊兵器で世界の平和を脅かす無法者の体制のなすがままにはならない」と述べ、フセイン政権打倒を戦争目的にうたった。2001年9月11日の米テロ事件を発端にした、国際社会の「テロとの戦い」は、大量破壊兵器開発を続けた疑いのあるフセイン政権打倒の戦争へと突き進んだ。
 イラク情勢をめぐっては、米政府が昨年11月の国連安保理決議1441採択以来、一貫してイラク政府に「武装解除を行う」よう求め、国連安保理の決議すらないまま、国連憲章にも違反する先制攻撃を始めたのである。
 初日の攻撃は、いきなり首都バグダッドに巡航ミサイル・トマホーク40発を撃ち込み、フセイン親子を狙って「レジーム・チェンジ」(体制変革)を実現しようとした暗殺攻撃である。ペルシャ湾に展開する米空母キティホークが率いるミサイル巡洋艦カウペンズもトマホーク10発以上を発射した。言うまでもなくこれらは、日本の神奈川県横須賀基地から出動した艦船である。
 その直後の21日から「衝撃と恐怖」と名付けられた集中的な大規模空爆が始まった。21日夜、米軍が発射したトマホークは320発にのぼり、投下した爆弾はすべて精密誘導爆弾だった。「火力は湾岸戦争の三倍」である。この攻撃では何の罪もないイラク市民にも被害が及んだ可能性が高い。この夜、キティホークから空爆に出撃したのは延べ60機。星が埋め尽くす夜空に向けて爆音とともに次々と発艦した。同時に地上軍がクウェートから侵攻し、一部はバグダッドに向けて一直線に砂漠を北上した。イラクへの地上部隊の侵攻直後には、クウェート国境に近い拠点の港湾都市ウムカスルで激しい戦闘があった。

 夜空を赤黒く焦がすせん光。静寂を何度も切り裂くごう音−。22日未明から、バグダッドは米英軍による大規模な空爆にさらされた。イラクの首都はいたるところで灰色の煙が上がり、炎に包まれた。「あちこちで火の玉が飛び交った」。
 バグダッド市内の自宅にいたある政府軍兵士は、国際電話取材に対し「たった今も『ボン、ボン、ボン』と爆発音が連続し、コンクリート造りの家が揺れた。今までで一番ひどい爆撃だ。バグダッド周辺のいろんな所から煙と炎が立ち上っている」と話した。三歳になるかならないかの長女は夜の間中、泣き続けた。「娘は何が起きているか分からない。ただ怖いんだ。」爆撃は未明まで断続的に続いた。
 南部の大都市バスラのサダム教育病院に勤務する医師、ジャワッド・アリさん一家は、生死にかかわる深刻な時間を過ごしていた。22日午前4時半ごろ、国際電話で「昨晩から爆撃や大砲の大きな音がずっと続いており、家族は皆眠れない」と話していた。爆音や衝撃が家を揺らす度、妻や4人の子どもたちは「怖い。早く終わって」と祈ったという。
 同病院は、湾岸戦争で使われた劣化ウラン弾による影響で発症したとみられるがん患者らを治療している。アリさんは腫瘍センター長を務め、昨年12月には治療法や支援を求めて広島を訪問した。
バグダッドでの空爆作戦参加後の会見で、空母キティホークのあるパイロットは爆弾発射直後の心境として、「『やった、すぐに戻ろう』と思った」などとやや緊張した様子で振り返った。民間人に犠牲者が出る懸念については、「大砲の近くにいる者は、悪いやつらだ」と話し、民間人の犠牲は気にも留める様子はない。  
その後も、 米軍ミサイルによる民間人の被害が続いた。24日、イラク国境近くのシリア領内で、米軍が発射したミサイルがバスを直撃、シリア人乗客5人が死亡した。
 米国防総省の報道官は26日、イラクの首都バグダッドの住宅街の市場に、米英軍のものと見られるミサイル2基が着弾し、一般市民約45人が死傷したことについて、「死傷者が出るのはすべてサダム・フセインのせい」との理屈で反論した。
 イラクのムバラク保健相は27日、過去24時間に空爆によってバグダッド市民36人が死亡、215人が負傷した、20日の開戦以降、イラクの民間人約4000人が死傷、うち死者は計350人に上ると発表した。死傷者は子どもや女性が中心でクラスター爆弾によって被害が拡大したという。
 23日、イラク空爆から帰還途中の英軍機が米軍の迎撃ミサイル「パトリオット」に撃墜され、2人が死亡した。また巡航ミサイル「トマホーク」が誤ってイラン南西部に数発、トルコに23日夜、2発が着弾し、最先端兵器の「精度」への疑問が指摘されている。「数多くのトマホークの中にはわずかながら正常に作動しないものもあり、驚くに値しない」と国防総省当局者は話している。
 25日、首都南方100キロのナジャフなどで激しい地上戦が行なわれ、イラク兵の死者は300人から500人に達した。地上軍の衝突では開戦以来最大である。25日から26日未明にかけては、バグダッド市南部に重点的な爆撃が行われ、バグダッド市内では国営テレビ局も電磁波利用の最新兵器による攻撃を受けた。
25日、空母キティホークの艦載機が、対戦車用兵器「クラスター爆弾」を使用した。クラスター爆弾は投下後、空中で上下にふたが開き、中から長さ20センチほどの小型爆弾約250個が広範囲に飛び出る仕組みの非人道兵器である。
 米中央軍は26日、記者会見し、イラクでの空爆で劣化ウラン弾を使用したことを初めて認めた。ガンなどの健康被害を懸念する質問には「過剰な言い方だ。安全だとわかっている」と答えた。
 現地からの報道は、米英軍の空爆や戦車の砲撃、誤射、誤爆など、民間人の犠牲を伝えている。バグダッド市内の病院はけが人であふれ、死傷者がかなりの数に上ることは間違いない。だが、現状では犠牲者の正確な数を把握することはできない。そうした中で、世界の主要メディアの報道を根拠に民間人死者数を出しているのが、米英両国の学者らが運営するウェブサイト「イラク・ボディ・カウント」である。3月28日現在で、最小で253人、最大で333人とカウントしている。
地上軍が予想外に速いペースで進撃し、イラクのゲリラ攻勢による隊列の襲撃などで、一時は補給ラインが確保できないとして、長期化が懸念された。例えば、南部ナシリヤで23日、米陸軍第3歩兵師団の整備補修を担当する「507歩兵中隊」がゲリラ部隊「フェダイン・サダム」の奇襲を受け米兵9人が死亡、12人が行方不明となり補給線のもろさが表面化した。が、その後、戦車によるバグダッド市内の偵察行動などへの抵抗はほとんどなく、バグダッドの陥落はわずか数日で終わった。結果的には1991年以来の経済制裁や連日のすさまじい空爆によりイラク軍の総合力は著しく低下していた。
 米軍は4月3日、バグダッドのサダム空港を制圧した。4日、米陸軍第3歩兵師団の6〜8両の戦車など地上部隊が偵察行動としてバグダッド南郊から市内に入った。
更に5日には、バグダッドに突入した米軍装甲部隊が市中心部へ進撃し、イラク軍がロケット弾などで時折、抵抗していた。米中東軍は6日、陸軍第3歩兵師団が大統領警護隊の本部があるとみられる宮殿を制圧した。この時点で、すでにイラク軍の本体は壊滅していたとしか考えられない。
 4月2日、アメリカのミサイルがバグダッドの赤新月社母子保健病院と近隣の建物を攻撃した。数人が死亡し、少なくても25名が負傷した。米海兵隊は自爆攻撃を警戒し、道路を封鎖して検問を実施したところ、一台のミニバスが来たため、海兵隊は停車を求めたが、バスはそのまま走行。自爆攻撃を疑った海兵隊からの銃撃を受け、乗っていたイラク人六人が死亡した。死亡したのは一家で、顔に銃弾を受けた二歳の子供もいた。海兵隊の中には衝撃を受け、泣き始める者がいたという。あの徹底した殺人訓練を受けた海兵隊が死体を見て泣く。全く無意味な殺戮の記憶を彼は一生引きずらねばならない。一方この戦争に諸手を挙げて支持した「平和国家」の首相は、苦悩の影すらなく今日もヘラヘラとコメントしている。
6日、アンマンでの記者会見で国連環境計画(UNEP)のウィリアムズ報道官は、放射能兵器で白血病の原因として知られる劣化ウラン弾について、「潜在的な危険性がある」とのテプファー事務局長の言葉を紹介し、一九九一年の湾岸戦争時も含めたイラク国内での劣化ウラン弾の被弾地域の調査を、状況が許し次第始めるよう勧告した。
 9日、バグダッドは陥落し、フセイン政権は崩壊した。ブッシュ米大統領は、テレビでバグダッド中心部のフィルドス広場に立つフセイン大統領の銅像がイラク市民と米海兵隊の手で倒され、市街を引きずり回される映像を見た瞬間、興奮気味に「ぶっ倒したな」と叫んだ。フセイン像によじ登った米海兵隊員が、フセインの顔に星条旗をかけたとき、群集は静まりかえった。テレビを見ていた米国防総省の記者室ではため息が漏れ、アラビア語テレビの解説者は怒りをあらわにした。星条旗は急いで旧イラク国旗に取りかえられた。占領軍アメリカの姿が露呈した瞬間である。
 10日、海上自衛隊のイージス護衛艦「こんごう」など3隻が、テロ対策特別措置法に基づく対米支援のため、長崎県の海自佐世保基地からインド洋に向けて出航した。アラビア海周辺を含め、米英など10カ国の艦艇に燃料などを提供するためである。
 11日、米空母キティホークのトーマス・パーカー艦長は艦内放送で「すでに約2400万ドル分の爆弾を投下した。(イラクには)まだ殺される必要がある者たちがいる」と述べた。この世に「殺される必要がある者」が存在するというか。
 この時点で、さまざまな立場の人が死亡している。民間人について、イラク・ボデイカウントは、4月10日現在で最小1140人、最大1376人としている。
 米英軍当局によると、十日現在の米兵の死者は105人、英兵の死者は30人。米兵11人が行方不明、7人が捕虜となっている。
 一方、イラク兵の死者数は不明。サダム国際空港で320人▽カルバラ周辺で1200人▽バグダッド周辺で2千人以上など、米軍当局から断片的に死者数が伝えられてはいる。
 国際ジャーナリスト連盟によると、死亡したメディア関係者は12人、死亡の可能性が高い行方不明者は2人。戦闘と直接関係のない死者も数人いるが、大半が米軍の空爆やイラク側のミサイル攻撃、地雷、自爆攻撃などで命を落とした。
 9日、チェイニー米副大統領は、ニューオーリンズでの講演で、イラク戦争の大勢が決したことを踏まえて、「「無法国家」やテロリストに対して積極的な攻撃に出ることの有効性を強調し、今後もそれを米国の安全保障政策の基本とすべきだ」との考えを示した。
11日、米陸軍がイラク戦争に伴う油田の消火・復旧作業で、石油関連のプラント建設大手、米ハリバートンのグループ企業に期間2年で総額70億ドル(約8400億円)の事業を無競争で発注したことが明らかになった。ハリバートンはチェイニー副大統領が就任以前に最高経営責任者を務めていた企業である。
 米英軍は14日までにイラク全土を掌握したが、イラク戦争の目的に掲げていた大量破壊兵器は未だに見つかっていない。バクダッド周辺などでは「化学兵器製造工場発見か」との報道が相次いだが、いずれも十分な根拠のないメディアの先走りで、否定的結果に終わっている。元々、なかった可能性の方が高いのではないか。
  バグダッドの考古学博物館が11日略奪被害に遭ったことを受けて、国連教育科学文化機関は米英両国に書簡を送り、「イラクの考古学現場や文化施設に対して緊急に保護と警戒の対策をとるよう」要請した。「世界の中で最も豊かなものの1つである古代メソポタミア文明発祥の地であるイラクの遺産とコレクションを緊急に守る必要がある」とし、「特にバグダッドの考古学博物館とモスル博物館、バスラ(の文化施設)は米英軍による保護が必要だ」と訴えた。パウエル米国務長官は14日、「米国はイラクの遺跡や文化遺産の価値をよく認識している。1万年にわたる文明の発展の記録だからだ」と強調した。
  国防総省のクラーク報道官は、米政府が掲げたイラク戦争の8つの目的のうち、〈1〉フセイン政権の打倒〈2〉テロリストの拘束と駆逐〈3〉石油施設の保全――の3つを達成したと述べた。ただ、イラクとテロ組織との関連、大量破壊兵器の存在を示す証拠の発見、大量破壊兵器の廃棄については、なお時間がかかるとの見通しを示した。これらこそ、小泉首相が戦争支持の根拠としてあげたものである。
 イラク戦争で米英軍がティクリートを制圧してイラク全土をほぼ掌握したのを受け、今後、イラクを震源地とする変化の波が中東各国を揺さぶることになる。圧倒的な軍事力を基盤にした米国の「覇権」がさらに強まり、シリアやイランは「次の標的」になりかねない。内外の圧力を受けて、アラブ諸国は緊張をしいられることになろう。米国・イスラエルとアラブの力のバランスがさらに崩れたことで、アラブ・パレスチナにとっては中東和平の見通しも暗い。
 アメリカ軍は、イラク戦争で使った劣化ウラン弾の汚染除去をする計画は全くないと言明。「なぜなら我々の研究でDUは環境への長期の影響がないと分かっているから」。人体への影響でもそれは米国が決めるという一国主義がある。劣化ウラン弾の除去と影響調査こそ日本の引き受けるべき役目ではないか。
 北部最大の都市モスルで15日、米軍兵士がイラク人の群衆に発砲し、少なくとも10人が死亡、数十人がけがをした。事件は市民の反米デモの際に発生したが、その経緯は目撃者の証言と米中東軍の説明で大きく食い違う。モスルはイラク国内でも特に反米感情が強い都市だ。アラブ系住民が、クルド人武装勢力とともに侵攻してきた米軍に猛反発している状況がある。米軍は「解放者」なのか、虐殺者なのか。モスルでは16日にも群衆に発砲。4人が死亡した。
 今、戦後復興をめいうって、米軍はイラク全土を占領し、軍政がしかれようとしている。
 大量に使用した準大量破壊兵器の残虐性は、調査される見込みはない。DUの除去は優先課題であるが、放置されそうである。クラスター爆弾による被害の実態はどうなのか?
  大量破壊兵器のかけらすら見つかっていない。仮に見つかったとしても、それが一方的な戦争行為を正当化するものではない。とは言え、せめてBC兵器がないとすれば、今回の戦争の大義はどこかに失せてしまう。国連の場を通じて、世界中が大騒ぎし、そこでの合意が得られないまま、米英軍が強引に戦争を仕掛け、四大文明の発祥地を破壊し尽くした行為は、何だったのかと言うことになる。ましてや、この戦争によって、言われなく命を奪われた人々、遺族となった人々に何と説明するのか?
  今日(4月20日)の民間死者数は、最小1652人、最大1939人である。まだ未確認のものが増える可能性はある。負傷して病院にかつぎ込まれた人々は、これより一桁多い可能性が高い。十分な治療ができない中、そのまま亡くなっていく人もいるであろう。仮に独裁政権による人権侵害があるとすれば、国際的な監視や圧力によって変えていけばいいことだ。それをもって、主権国家を転覆させていいなどと言う理屈はない。
  1ヶ月間のできごとを並べてみただけでも、この戦争のどこに正義があったのか、全く理解できない。「国民の解放」「イラクの自由」とはほど遠い現実が見えている。「テロ」「ならず者国家」を事前に叩くという軍事戦略を実行に移してしまったアメリカこそが、世界で最も「ならず者国家」としての資格を持っているのではないか。
  私たちが生を受けた、水をたたえた地球は暗黒の宇宙に浮かぶオアシスである。地球は、形成から40億年もの年月をかけて多様な生命体を生み出し、近年になり人類という思考能力を持った知的生命体を産み落とした。銀河系に1000億個の太陽があるといえども、同時代性を持って、このように生命が豊富な星は、ほとんどない。
その奇跡的な存在である私たちが、なぜ生命を抹殺しあうのか。
今回の作戦は、「衝撃と恐怖」作戦である。しかし、アメリカ市民とブッシュ政権こそ、9/11の「衝撃と恐怖」に縛られて、今を生きているのではないのか。核兵器の使用も含め、先制的に攻撃をする権利を持つという戦略こそ、自らの恐怖心の裏返しの表現にすぎない。政治、経済、軍事、どの分野をとっても、世界最強のアメリカこそが、今最も弱い精神状態にある。
ヒロシマは、アメリカによって、大量破壊兵器による無差別攻撃を受けた地である。
半世紀を経た今も、被爆者を初め、多くの市民が得も言えぬ苦悩を背負って生きている。アメリカを恨むという境地を越えて、大量破壊兵器を廃絶した世界をめざして、核兵器の廃絶と恒久平和を訴えている。その志が報われる日がまだ遠いことを、イラクの1ヶ月は示している。今、この戦争に正義はないことを世界中の人々が共有することが、つとに求められる。ブッシュ政権の先制攻撃戦略がイラクに初めて適用され、「成功したかに」見える現在、この方法では、アメリカ自身が救われないことを人々は自覚すべきである。ヒロシマからそのことを改めて訴える。