143−20.2004年4月10日.今井紀明さん等三名救出 原爆ドーム前座り込み(191)〜(200)

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   午後3時すぎ、羽熊直行さんが原爆ドーム前でまっていました
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おなじみ、兎さんのスタイルで

なお、11日午前3時、NHKから3人が24時間以内に解放されることになったと第一報が飛び込んできました。(以下繰り返し御免)

理由は、人質の3人がイラクの敵ではなく、味方であることが判明し、イスラム指導者から説得されたとのことです。私たちに日本政府に自衛隊を撤退させるように圧力をかけて欲しいと求めています。

しかしすぐには解放は実現していませんでしたが、ようやく、14日午後8時半(日本時間)ようたく解放されました。

4月15日中国新聞ホームページ

同広島地方の反響

4月15日朝日新聞ホームページ

4月15日毎日新聞ホームページ

4月14日読売新聞ホームページ参照

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歌っていのりましょう。

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K−netの橋本真さんと菊間みどりさん

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責任者?伊達純さんからの報告を下に。一応、「拘束された3人を救うために自衛隊のイラクからの撤退を求める広島市民有志」、広島修道大学平和学研究会の呼びかけということになっています。

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 年輩の方がお話されました。みんな頑張ってくれ、とのこと
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伊達 純です。

 12時20分頃、広電の電車に乗って原爆ドーム前を通ったら、何人かの人たちが座り込みをしているのが見えた。下車して、座り込んでいる場所へ行ってみたら、ピースサイクルの人たち、そして「第九条の会ヒロシマ」「ピースリンク広島・呉・岩国」などで活動している仲間たちだった。「全ての人の平和を」、「“We Shallovercome”、“Imagine”、「ヒロシマのある国で」、「青い空は」、「海よいちまでぃん」などをうたった。12時40分頃、印刷作業をするために市民交流プラザへと向かった。

 市民交流プラザで印刷作業を終えて、午後1時から行なわれていた本通り旧積善館前で行なわれたNO DUヒロシマ・プロジェクト、「有事立法はイケン(違憲)!広島県市民連絡会」、ピースリンク広島・呉・岩国呼びかけの街頭宣伝に参加した。多くの人たちが参加していた。20人以上はいただろう。湯浅一郎さん、森瀧春子さん、嘉指信雄さんがマイクで訴えかけた。私もマイクを握った。
チラシの受け取りも良かったし、署名も多かったようだった。マスコミもたくさんやってきていた。私もインタビューを受けた。

 本通り旧積善館前の街頭宣伝を終えて、今度は「拘束された3人を救うために自衛隊のイラクからの撤退を求める広島市民有志」と広島修道大学平和学研究会呼びかけによる原爆ドーム前座り込みだった。

予定していた午後3時を20分ほど過ぎていた。「教科書問題を考える市民ネットワーク・ひろしま」(略称:Kネット)の2人、「原発はごめんだヒロシマ市民の会」、「グローバリゼーションを問う広島ネットワーク(準)」、広島修道大学大学院生など様々な人たちが参加してくれた。

最初、これからオーディションを受けるという2人組のユニットが座り込み場所にいたので、一緒に座り込み、彼らにも演奏してもらった。また、ギター演奏旅行をしているという「地球(テラ)」(竹宮恵子のSF少女マンガ「地球(テラ)へ」からとったということだった)さんが飛び入り参加してくれた。Kネットの2人(「Kネット」がユニット名になっているみたいである)に、こういった人たちが加わったのだから、この座り込みの色は決定したようなものだった。Kネットのお2人は「何が大切なのか」「憲法九条のうた」「死んだ男の残したものは」
などをうたった。「地球(テラ)」さんも、なかなかの美声だった。


「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の仲間と私が主にマイクを握って一般の人たちに訴えかけた。そして「グローバリゼーションを問う広島ネットワーク(準)」、広島修道大学大学院生の仲間が署名集めをしてくれた。おかげで147人もの人たちが署名してくれた。当初は6時に終わる予定だったのだけれども、キャンドル行動が7時半からだというので、結局7時半まで引っ張った。

 10時過ぎにキャンドル行動を終え、1日の行動を終えた。原爆ドーム前に残る一部の人たちを残して私は帰宅した。自宅にたどり着いたのは12時。クタクタだった。