☆田村さん意見陳述全文・・・
原 告 田 村 順 玄
1 私は、今回提訴しました原告の田村順玄です。私は1945年8月12日、第2次大戦が終わる3日前、中国(旧満州)で生まれました。翌年2月、親戚を頼りに山口県に引き揚げてきまして、以来62年間この基地の街「岩国」で営みを続けてきた1人の市民であります。
私が通学した小学校は米軍岩国基地に近く、幼少時代から基地との関わりが多くございました。基地に関連した沢山の事件にも遭遇しておりますし、米軍機の事故や爆音の迷惑も日常的に感じてきました。それだけに、岩国基地への感情もあれこれ思い出します。
2 さて、このような岩国基地は1962年から正式に米海兵隊の基地に提供され、現在の状態が続いていますが、68年からは海上自衛隊の航空部隊としても共用使用され西日本最大の基地として運用されています。
この岩国基地は戦前は旧海軍の航空基地として1940年に発足したのですが、当時の滑走路は現在とは90度違う東西に走っておりました。つまり海岸線から山の方へ直角に走っていた訳ですが、戦後進駐した連合軍が最初に行ったのはこの滑走路を瀬戸内海と並行して南北に変えることでした。沢山の市民を労働者として雇用し、錦帯橋周辺の錦川から大量の川砂利を採取し、滑走路を作りました。戦後の軍隊帰りや引揚者など多くの失業者は、「航空隊」という働く場で新滑走路作りに汗をかいたのです。
実はこのときの砂利採取が原因で、300年間流れることの無かった錦帯橋が流出したと言う話は有名です。こうして完成した滑走路が、その後の岩国市の発展を大きく阻害する基地北側工場地帯の「上空制限」へとつながって行くことになりました。
川向かいに立地する主力工場は戦前からある「帝国人造絹糸株式会社岩国工場(現在のテイジン)」でしたが、テイジンはその会社名が示すとおり人絹を製造する工場でした。しかし後のナイロンやテトロンといった合成繊維が誕生し、近代化や業種の転換を図ろうとしましたが上空制限でそれが叶いません。テイジンのある岩国駅東側の地域は今も「人絹町」という呼び方で当時は1万人余の市民が生活していましたが、テイジンの生産活動を岩国市外へ転出させことで、今では「人絹町」はその半分くらいの街に衰退してしまいました。
3 岩国基地はその後、ベトナム戦争の重要な役目をもつ背後の部隊として運用が続きましたが、1968年6月、九州大学の構内に米軍のファントムジェット戦闘機が墜落、福岡県板付基地の返還運動が盛り上がりました。
この事故がきっかけで岩国基地でもどこか他の場所に基地を移転させようという世論が高まり、市民の署名運動も始まりました。こうした声に連動し、議会や行政も加わり、「基地撤去」ではなく「岩国基地移設」、航空機の墜落の危険性や騒音の軽減など日常生活上の障害の軽減が目的の「岩国基地沖合移設運動」がスタートしました。
以来28年、この運動は営々と続き、岩国市民は「悲願」という「まくらことば」までつけ、この事業の実現を願い続けました。
私はこの運動の発足当初から一貫して、「沖合移設は基地機能の拡大・強化の受け皿作りにつながる事業」だと批判してきました。しかし官民あげての「沖合移設」促進運動は営々と続き、1996年6月から実際に政府直轄の事業としてスタートすることになりました。その総事業費は2,400億円、213ヘクタールの海面を埋立て、2009年春完成というスケジュールで工事が続いております。
4 こうした折り、2001年に、アメリカで9・11テロが起こり、アメリカの世界軍事戦略は大きな転換を見ることになりました。「米軍再編計画」です。
この「米軍再編」で、岩国基地を極東最大の米軍基地に生まれ変わるようにする提案を、岩国市民は国から押しつけられることになったのです。
国が、「米軍再編」の目玉として、岩国基地を「厚木基地に駐留する空母艦載機部隊のための基地」とする本当の狙いは、その部隊が実施する「夜間離着陸訓練(NLP)」の基地として岩国基地を使用したいという願望があるということを見逃すことは出来ません。
神奈川県横須賀市には世界で唯一、米国海軍が、アメリカ国外の港を母港としている航空母艦の基地があります。ここに所属する空母艦載機の寄港時のホームベースが厚木基地ですが、ここで展開する空母艦載機を岩国へ移転させるというのが、目下、国が進める米軍再編の目玉なのです。
厚木基地のある、人口密集地の大和市周辺での空母艦載機の爆音をはじめとする迷惑は、同じ海兵隊基地のある岩国市民も良く承知しております。しかしそれ以上に国が何とかしたいという深刻な悩みは、この艦載機が乗る空母の就航時に必ず必要となる「夜間離着陸訓練(NLP)」の実施場所を確保することです。
国はこれら空母艦載機の厚木基地からの移転と併せ、NLPも近くで気兼ねなく実施出来る基地を追い求めています。米軍が硫黄島を嫌っているからです。
5 こうした国の願望を裏付ける事実があります。岩国基地沖合移設事業が始まる4年前、1992年の6月に国と県と市の実務者が交わした「合意議事録」があります。締結後この議事録が世に出たのは9年後の2001年6月のこと。私はあえてこの文書を「密約」と呼びますが、発見時には大きな政治問題としてクローズアップされました。
この「密約」にはなんと、「沖合移設事業」完成後の岩国基地では「NLP」の使用を地元が認めるという約束がかかれておりました。これではっきり、「岩国基地沖合移設事業」は市民が悲願としてきた「いまある海兵隊部隊や自衛隊航空機の騒音の軽減や、墜落事故などからの回避」が目的ではなかったことが明らかになりました。加えて、その2年後の「9・11テロ」後に示されてきた今焦点になっている、「米軍再編計画」がこうした国の思惑を裏打ちするような「沖合移設計画」の利用案を変質させたものに変わってきたのです。
昨年5月に米軍が示した岩国基地のマスタープランではこうした「沖合移設完成後」の岩国基地の姿が描かれ、1996年に当時の「広島防衛施設局」が山口県知事から受けた公有水面埋立承認とは明らかに目的の異なる設計内容に変わっていました。そして、こうした成り行きを追認するかの如きこの度の山口県の変更承認に対し、私たちが提訴をいたした次第なのであります。
岩国では、これまで一度も爆音訴訟が提訴されていませんが、厚木から空母艦載機部隊が移駐していない現状でも、基地周辺住民は、海兵隊の戦闘機のもたらしている爆音に対して、テレビや電話の音が聞こえない、学校での授業が中断される、屋外での会話が聞き取りにくいなどの被害だけではなく、頭痛や耳鳴り、高血圧などの身体的被害やイライラしやすいなどの精神的被害も訴えています。
繰り返しますが、今日の「岩国基地沖合移設事業」は岩国市民がかつて30年間に渡って要望し続けてきた「悲願」という「滑走路移設事業」では断じてありません。岩国基地を米軍再編のシナリオ通り活用するための「基地機能強化案」であり、認めることが出来ないのです。これまで少しでも墜落の危険性と騒音の軽減を信じてきた岩国の市民が、米軍再編によって国に欺かれたことに気付き、このままでは厚木からの空母艦載機だけではなく、次から次へと部隊が移駐されてしまうという危惧を覚えた岩国市民が、「もうこれ以上は受け入れられない」という声をあげたのが2006年3月12日に行われた住民投票とそれに続く市長選だったのです。今年2月10日に行われた市長選においては、度重なる国からの圧力により、艦載機部隊の移駐に反対を貫いていた候補者は当選できず、あたかも岩国市民が艦載機部隊の移転を容認したかのように報じられていますが、実際はそうではありません。市長選当日にマスコミ各社が行った出口調査でも艦載機部隊の移転に賛成と言われた人はごくわずかに過ぎませんでした。岩国市民の多くは今も米軍再編に伴う厚木からの空母艦載機部隊の移駐に反対の意思を持ち続けているのです。
裁判所におかれては、この沖合移設事業が岩国市民の「悲願」を逆手にとり、市民を騙しながら進められてきたという事実を踏まえて、的確な審理をされることを求めます。
以上
☆内山新吾弁護士意見陳述・・・
原告ら訴訟代理人 弁護士 内 山 新 吾
最後に、この裁判の審理のあり方について、弁護団の内山から、簡単にまとめの訴えをします。
1 本件は、岩国基地周辺の住民が基地問題で提起したはじめての本格的な訴訟です。全国各地の基地で訴訟が続く中で、これまで岩国だけが例外でした。これまで基地に協力的だった住民の中から、これ以上はガマンできないと、ついに裁判が起こされた。その重みを、裁判官に受けとめていただきたいのです。
2 第1に、本件は、行政訴訟ですが、その基本は、騒音被害という人権侵害からの救済にあります。そうである以上、被害の実態、生活の平穏を奪い恐怖と健康被害をもたらす人権侵害の実態をしっかりとふまえた審理がなされるべきです。
3 第2に、騒音被害という人権侵害をくいとめる責任は、米軍や国だけでなく、山口県にもある、ということです。たしかに、米軍基地問題は、国政の問題です。しかし、県知事もまた、住民の安全安心を守る立場にあります。知事は、その権限を十分にいかして、住民の権利を守るべきです。裁判所には、人権救済の視点から、知事の権限行使のあり方に対して、厳しい司法判断をするよう求めます。
4 第3に、本件には、単なる基地問題にとどまらない特徴があります。住民の負担軽減という名目ですすめられた「沖合移設」が、現実には、基地の拡大と被害の増大の役割をはたそうとしています。そのことへの住民の疑問と怒りが根っこにある、ということです。このゆがんだ「沖合移設」をめぐる手続の中に、行政訴訟というかたちで、司法のチェックを行う手がかりがあります。
5 第4に、たしかに、本件は、行政訴訟としての難しさがあります。しかし、国がアメとムチで、住民の総意をふみにじりながら、基地被害を押しつけようとする中で、司法への期待は大きいといえます。裁判員制度の実施を控えて行政訴訟においても、市民によりわかりやすく、納得の得られる審理をすることが期待されています。
6 最後に、岩国のある市民が、この裁判への期待をこめて、「裁判官には、ぜひ一度、騒音を体験してほしい」と言っていたことを紹介して、意見陳述を終わります。
以 上