294−1.2008年8月5日、8・6ヒロシマ平和へのつどい2008(1)〜(10)  
   

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午後5時、市民交流プラザ研究室で、メインタイトルを「平和を求めるなら 9条を鍛えよう −核・基地・グローバル化−」と名打って、今年の「つどい」が始まりました。

ピースリンク広島・呉・岩国の久野成章さんが司会。

 

8月6日毎日新聞ホームページに出ています。

 

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 第一部の参加者は150名。第二部の参加者は180名でした。第一部は、峠三吉の詩『その日はいつか』の朗読で始まりました。

 

 

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最初に、木原省治さん。木原さんは、被爆二世として、原発はごめんだヒロシマ市民の会代表、広島県原水禁常任理事の立場でヒロシマを訴えてこられました。

「僕のヒロシマノート」というタイトルは被爆60周年の際、出版された著書のタイトルです。

 

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 「63年が経過しても、私がいつも意識するのは、慰霊碑に納められている過去帳に名前が書かれている、父、母、祖父母、そして母の胎内で被爆し2年前に亡くなった姉のこと。いわゆる認定被爆者の問題や韓国やブラジルなどに住んでいる被爆者の救済は微々たる前進。国交が閉ざされている北朝鮮被爆者の問題は未解決。被爆二世、被爆三世、被爆四世の人たちが持っている健康不安の解消に通じる医療措置、医療保障については、遠い道。原発や核実験や劣化ウランによるヒバクシャに対する連帯と救援の課題。茨城県東海村のJCO臨界事故や山口県上関町の原発問題にもヒロシマはもっと力を入れなければならない。六ヶ所再処理工場の本格稼動、米インド原子力協力協定、米原子力空母ジョージワシントン横須賀配備をどう止めるのか。洞爺湖G8サミットにおいての反対する人々の「表現の自由」が封殺された。核、基地、憲法、グローバル化など様々な課題に具体的かつ明確な形で対峙しよう。」と発言されました。
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 続いて舟越耿一さん。、長崎大学教授、長崎ピースウィーク実行委員会の代表として、文字通り、ナガサキの市民運動の中心的存在、オピニオンリーダーです。先日は、長崎大学学長選挙に担ぎ出され、総主流派体制にあえなく敗北を喫したとのことです。

 

 

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舟越さんは漁船を沈没させたイージス艦「あたご」が三菱重工長崎造船所で建造されたことを重視。長崎が兵器生産都市として完全復活していることに警鐘を乱打していく。佐世保基地はイージス艦3隻体制となったと。

 

 

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「長崎における三菱の兵器生産」と全面対決し、兵器生産の縮小・中止の道をこじ開けるという課題に迫っている。この日は、「大学での授業の経験から、学生の中で、国際情勢や今日の凶悪事件をとらえ”やられたらやり返せ・報復だ・死刑だ”という風潮が強まっている。”ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒロシマ”の原点をふまえることが必要だ」と発言されました。

 

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 次に被爆者の盆子原国彦さん。盆子原さんは、5歳のときに広島市舟入川口町の自宅で被爆されました。1961年21歳で、母と姉が行方不明のままブラジルへ移住され、現在は、在ブラジル原爆被爆者協会の理事です。

在外被爆者も高齢化しており、国内と全く同様の支援、一刻も早い対応が必要だ」と訴えられました。

 

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 7月31日の在ブラジル被爆者手帳訴訟では、広島地裁は、在外被爆者を放置してきた国の責任を断罪し、それに従ってきた広島県に賠償を命じ、原告全面勝訴の判決が出ました。

 盆子原さんは、「2005年はじめてヒロシマにきたときは、在外被爆者は日本に来て申請しなければ被爆者健康手帳を取得できなかった。それ以降の被爆者が起こした裁判の結果、その裁判請求に関する部分だけが認められるような展開で不満だ、と。

 

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在外被爆者も高齢化しており、国内と全く同様の支援、一刻も早い対応が必要だ」と訴えられました。

 

 

 

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現実には在外被爆者への国内と同様の支援はされていません。国の上告及び上告受理申し立て期限は8月14日です。「国は在ブラジル被爆者手帳裁判を控訴するな!すぐに在外被爆者への国内被爆者と同等に扱え!」との要求で迫りましょう。