309−4.2009年3月14日、湯浅一郎さんを送る会(31)〜(40) 
   
 (31)  
 松田宏明さん(芸南火電阻止連絡協議会)は、湯浅さんが「宇田隆」というペンネームで活動していた昔のエピソードを語ってくれた。
”どうも本名は、湯浅一郎らしい、国家公務員だって・・・”

 

 

 

(32)

 
 

岡山の松本宣崇さん(環瀬戸内海会議)が、阿部悦子さん(愛媛県議、環瀬戸内海会議代表)欠席の釈明(議会開会中)と1966年ベトナム反戦の時代を語り、その後の湯浅さんとの出会い(=香川県・豊島(てしま)の有害産業廃棄物事件)と環瀬戸内海会議顧問に就任してもらったいきさつなどを語った。

 

 

 (33)  
 篠原一郎さん(『環太田川』編集者)は、農業ジャーナリスト。亡くなった原哲之さんの意思を引き継ぎ、
湯浅さんと共に活動していることを語った。会場から、ミニコミ誌は世界を救う!と掛け声も。

 

 

 (34)  
 村田民雄さん(福山、市民運動交流センター・ふくやま)は、地域運動のリーダーとしての湯浅さんを語った。
 (35)  
 坪山和聖さん(福山、市民運動交流センター・ふくやま)は、何と東北大学時代の湯浅さんのエピソードを後輩として語った。

 

 

(36)

 
 

豊永恵三郎さん(被爆者、韓国の原爆被害者を救援する市民の会・広島支部長)は、湯浅さんの人となりを語りながら、原爆資料館展示の見直しが進められている中で、戦前の軍都廣島の展示縮小の心配を語った。

 

 (37)  
 伊達工さん(ピースサイクル・ヒロシマ・ネットワーク、郵政OB)は、労働運動の側から、市民活動家・市民研究者の湯浅さんを”軽々しく”かつ、”こき使って”きた反省の弁をしながら、今後も全国区運動家としての湯浅さんの活躍を信じている旨を語った。
左から新田秀樹さん、吉井信夫さん、伊達工さん、米今達也さん、田中繁行さん。

 

 

 (38)  
 肥塚孝司さん(カトリック正義と平和協議会)は、自らが代表を務める「野宿労働者の人権を守る広島夜回りの会」の活動に触れながら、湯浅さんの調査能力・分析力・行動力の抜群さは言わずもがなであるが、心の問題・信仰の問題でも、自分のような宗教家から観ても脱帽であると、会場の笑いを誘いながら語った。

 

 (39)  
 会場後ろから観る。出席者68名。欠席者8名。
 (40)  
 北西允(広大名誉教授)さんは、河合護郎さんが「80」なら自分はヤーサン「83」である、まだまだこれから一暴れしたいとジョークから入り、自らが渦中にいた戦後原水禁運動の分裂にも触れながら、格言で有名なバーナード・ショー(アイルランド出身の劇作家・劇評家・音楽評論家・(右派)社会主義者)の名言を引用し「髭とキスと湯浅一郎」を語りながらも、湯浅さんの優しい眼の力をたたえた。