500−1.2012年12月12日、岩国基地沖合埋立訴訟「海の裁判」控訴審、第1回口頭弁論(1)〜(10)
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この日は晴天、午後3時から広島高等裁判所で「
岩国基地沖合移設事業埋立承認処分取消請求訴訟 控訴審」第1回口頭弁論がありました。

この日の裁判については2012年12月15日付け中国新聞ホームページに出ています。

 
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広島高等裁判所前。先頭は原告団。右から藤川俊介さん、田村順玄さん、津田利明さん。後に弁護団の山田延廣さん、足立修一さん。その後ろが傍聴の人たちです。

 

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裁判所敷地内は写真撮影禁止。ここまでが限界です。広島の方の参加が多かったようで傍聴席の40席は満席でした。

「広島県西部住民の会」の方の姿が多かったように見受けられました。

 (4)30分ぐらいで審理は終わり、午後3時50分から隣の弁護士会館で報告会。
 司会は大月純子さん。
 (5)原告団長の田村順玄さんから挨拶。 
 
 (6)弁護団長の山田延廣さんからも挨拶。  
 
 (7)足立修一弁護士からこの裁判について説明。 
 
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  法廷でのやりとりというのは専門家以外には判りづらいです。でいつも足立弁護士は裁判でのやりとりの意味等を説明し、質問に答えられています。
 (10)テレビカメラが来ていました。KRY山口放送とありました。  
 実際に放送されたかどうかは未確認。他にもマスコミ関係者らしき方が数人、足立弁護士に問い合わせされました。
 

           

 

岩国基地沖合移設事業埋立承認処分取消請求訴訟 控訴審

1回 口頭弁論(2012年12月12日 広島高裁)

原告意見陳述

原告 田村順玄

1.私は、岩国基地沖合移設事業埋立承認処分取消請求訴訟原告団長の田村順玄です。

私は4年前の2008年2月7日、本訴訟を提訴いたしましたが、今年6月6日の山口地方裁判所での判決で請求が却下されました。本処分の根拠となっている公有水面埋立法が、民間と国とを区別し、国には「原状回復義務はない」として、「国は悪いことはしない」という法規定から門前払いとした1審判決を不服として、国民をすっかり騙す基地機能の拡大策に結び付けられた「岩国基地沖合移設事業」の不当性を引き続き追求していくために、私たちは広島高等裁判所に控訴したもので有ります。

 いよいよ明日12月13日、岩国基地においてはこの裁判でも争点になっている岩国基地沖合移設事業によって新設された滑走路を使う軍民共用空港が開港の運びと成りました。これはまさに、沖合移設事業の埋立承認後に始まった米軍再編計画の中で「パッケージ」と言われる再編メニューの中の一つの施策でありまして、いわゆる「アメとムチ」の「アメ」に当たる岩国〜羽田一日4便の航空路が開設される事業です。

 本訴訟の根幹をなす「岩国基地沖合移設事業」は、日米両政府の都合のために岩国市民を翻弄してきました。まさにその象徴となるひとつの現象としての岩国錦帯橋空港開港のエピソードがあります。

 

2.岩国基地沖合移設事業は、当初から岩国市民に「悲願」とまで言わしめ、航空機の墜落の危険や騒音の軽減、当該事業の実施による地元経済の活性化や移設跡地の有効活用などを期待させ、40年以上前から進められてきました。

 しかし、2001年9月の9・11テロのあとのアメリカの世界戦略の変更により、岩国基地沖合移設事業の方向性が当初の目的から大きく変更されてきました。

 まず最初に、岩国基地を活用した新たな基地政策として提起されたのが、厚木基地で展開している原子力空母「ジョージワシントン」艦載機部隊の岩国移転案です。再編計画では2014年までに岩国基地に59機の空母艦載機を移転させるという提案があります。

3.岩国市民は今日まで戦後67年間、その大半は米海兵隊の航空基地として展開される数々の基地被害を我慢して生活してきました。それも長い時間の経過の中から、今では、根本的な基地忌避感情ではなく、基地と折り合う安寧を選択し、「沖合滑走路移事業」を推進し、騒音や墜落の危険を軽減するという策に期待を広げました。

 岩国基地沖合移設事業は1997年(平成9年)6月、岩国市民がこの事業を想起した29年後に着工の運びとなりました。しかも、人口10万人余の地方都市に、年200億円からの国民の税金が、総額では2400億円も投入され、工事は計画的に進められてきました。しかし、工事着工から4年後、「9・11テロ」が勃発しその流れが大きく変更されてきたのです。

 岩国基地がその面積が1.4倍に広がり、周辺地形に影響されない沖合に移転した滑走路や水深13メートルの大型岸壁を具備した極東一の軍事基地となることが、最早、後ろに下がる単なる「案」では無くなった事実を見越され、日米両政府が提起してきたのが「厚木基地の艦載機部隊の岩国移転」策です。

 

4.この移転策に連動し、岩国基地沖合移設事業は大きな変質を進めてゆきました。

再編完了後は岩国基地で運用する航空機の総数は100機を越え、駐留する兵士の数も1万名に膨れ上がることになりました。離発着する航空機も、海兵隊と海軍、海上自衛隊と命令系統が違うそれぞれの部隊の航空機が滑走路を使用することになり、当初の設計には無かった誘導路も縦横に何本も増設されることになりました。

 新たな部隊を迎え入れるために、旧滑走路エリアから沖側の広大な敷地にはそれぞれの部隊を配置し変える施設計画や、弾薬庫の移転など、滑走路の移設どころかほとんど新基地の建設工事となりました。連動して起こったのが、厚木から来る兵士や家族のための住宅問題です。岩国基地沖合移設事業で埋立工事に使用した土砂の採取跡地を活用した愛宕山の米軍住宅計画が、又新たな岩国市民への災厄として振り向けられてきました。

 その上に、今年の夏に勃発した「MV−22オスプレイ」の配備問題が極めつけです。

 

5.岩国市民はこうして、つぎからつぎへと岩国基地政策に翻弄された日々をおくることになっており、その全てが岩国基地沖合移設事業がその元凶であると言っても過言では有りません。この結末は5年近い一審での私たちの主張を全て裏付けたような結果であり、このような事になっている岩国基地の今の姿を、私たちは絶対に認めることは出来ません。その全てが、騒音や墜落の危険の軽減を目的とするとされた岩国基地沖合移設事業で承認されている埋立承認処分の対象事業が変質したことからこそ起こっている事だということを、改めて強く主張するものです。

 裁判所におかれては以上の私の主張をおくみとり頂き、的確な審理をされるよう求め、私の意見陳述と致します。