27.浄国寺・西地方西新町町民慰霊碑と防空機動隊員慰霊の墓標等   (中区土橋町2ー4)  
   
 

「原爆の焼け土にたちし 浄国寺 永遠の平和をいのる みだ仏」

平和公園のすぐ西の中国新聞本社裏の寺。数多い原爆で一家全滅になった無縁の墓、傷ついた墓石、そして昭和二十年八月六日と記された墓。墓地の入口に、原爆で笠の折れた宝塔があり、そのそばの小さな石(かっては木柱)がここの慰霊碑です。そしてその右に細長く枯れ木のように立っているのが「防空機動隊員慰霊の墓標」です。経済的理由から多くの寺が無縁の墓を縮小整理、「近代的」になっていくている寺もある中で、かえって胸打つものがあります。

写真は2006年6月18日撮影。
   
 真ん中の小さな石が、西地方西新町町民慰霊碑、この地区の原爆慰霊碑です。

写真は2006年6月18日撮影。
 
  淨国寺被爆六地蔵

 また、無縁墓の前には色々な表情をした六体の被爆地蔵が並んで立っています。まるで山口勇子さんの「おこりじぞう」に出てくるお地蔵さんのように。次ページにその表情等を追加しましたので見てください。無縁墓の中にも地蔵さんがまじっています。

様々な表情を見せる、被爆地蔵尊。一体ごとにi色々な表情を見せています。右のものは、怒っている様にも見えないわけではありません。左は悲しんでいるようにみえます。江戸時代からのものといいます。被爆時とは位置が変わっていますが、この近くに地蔵堂があって、その中で被爆したということです。そのうち一つの地蔵さんの首が、寺から3〜400メートル離れた土橋の電停のそばに飛んでいたといいますから、その被害のすさまじさが伺えます。当時の住職は建物の下敷きになって亡くなられたということです。

写真は2006年6月18日撮影。

   
 

なお、山口勇子さんの絵本「おこりじぞう」のモデルとなった地蔵さんは、今は、松山の龍仙院というお寺に安置されているとのことです。
 松山まで行くわけにはいきませんし、ここの地蔵さんも結構表情豊かですし、また「おこりじぞう」は「いまも、広島のあるよこちょうに、おこりじぞうはおこった顔で、じっと立っています」とありますので、「よこちょう」とはいきませんが。やはり広島の町中にあってもらいたいので、ここの地蔵さんが代わりの役割を果たすと思います。

下は六地蔵の裏の無縁墓の中にも、地蔵尊が、多くの寺同様に混じっているのを写したつもり。見えますかね?
写真は2006年6月18日撮影。

   
  原爆で破損した墓石もアチコチに。写真は2006年6月18日撮影。
 
 

なお、この寺は元は吉田町にあり、毛利輝元の広島築城とともに現在地近くに移ってきたもので、歴史を偲ばせる遺構(輝元の別邸跡ー被爆の痕跡あり)もあります。

 

原爆ドームのそばにも、被爆地蔵の「西蓮寺」と被爆墓石のある「西向寺」があります。「西向寺」には中に入れます。

右の写真は2003年8月6日のフィールドワークで。すぐ手前の墓石には昭和二十年八月六日原爆死と刻まれています。

   
左の写真は2002年8月6日のフィールドワークで。
   
右の写真は1999年8月6日のフィールドワークで。