14.秀翁(とくおう)寺の六地蔵と被爆樹(中区東白島町8−8)
   
 

 爆心から約1.5キロ。六地蔵のそばには防空壕がありました。あの日、広島城下成立の時からあるこの六地蔵が守ってくれると信じて、町民は壕の中に飛び込んで行ったといいます。 防空壕に入っていった人は皆、蒸し焼きになってしまいました。

六地蔵は1993年訪れたときは六つあったのですが、1999年春訪れた時は一つ減っていました。その内、一体は鉄線でくくられて何とか立っているのがわかります。かなり破壊されたようです。他の四体は、破壊は免れましたが、それでも、顔の表情がわからないほど痛んでいます。 この地区の家屋は全て全壊、即死者30%以上、負傷してない人は殆どいなません。死体とまだ息ある人が重なり合い地獄の惨状を示していました。倒れた家の中から這いだし何とか助かったと思った人も、無傷と思われた人も含めて多くは、原爆症とその後言われだした放射能障害のため次々に亡くなっていきました。
2007年6月26日毎日新聞ホームページに平和学習でのここの六地蔵の物語が紹介されています。

写真は2013年4月3日撮影

   
 また、被爆樹カエデ(右)に説明板がついていました。「被爆樹木 カエデ 爆心地から1,580m このカエデは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。」

写真は2013年4月3日撮影
   
  写真は2013年4月3日撮影
   
 

なお、ここのマツ、コウバイ、クスノキなど多くの樹は被爆樹だと住職さんから1999年教えられ、5つの被爆樹の写真を撮りましたが、全部紹介するわけにはいきませんので、その内、マツとコウバイ?をあげておいていましたが、2012年の再訪の時は良く判りませんでした。

なお、ここのマツ、コウバイ、クスノキなど多くの樹は被爆樹だと住職さんから1999年教えられ、5つの被爆樹の写真を撮りましたが、全部紹介するわけにはいきませんので、その内、マツとコウバイ、クスノキをあげておきます。

マツ

1999年撮影
   
 コウバイ?

1999年撮影
   
   クスノキ

1999年撮影