5.広島銀行物故者慰霊碑 (中区紙屋町一丁目3−8)
   
   

広鳥銀行(当時、芸備銀行)は、広鳥市内の十六店舗に約450人が勤務しており、144人が死亡しましたと記録されています。

爆心より250メ−トルで被爆。建物は鉄筋コンクリート五階建、ルネッサンス様式といっても産業奨励館(原爆ドーム)を見たら判るように、ガラクタになってしまいましたが、金庫室だけは、厚さ50センチという鉄扉に守られて残り、中の書類、帳簿などは焼失をまぬがれました。

6日朝8時半から本店で予定されていた月曜日の定例朝礼に出ようと出勤途中に被爆し、亡くなった人も多かったようです。職域国民義勇隊として県庁付近で建物疎開作業をしていたのが60人ぐらい。早朝出勤していた人も戦時体制の中で金融機関が重視されていたため多く、全部で150人近いと思われます。爆心地に近い本店内は、遺体の男女の区別ができないはどの惨状だったといいます。

碑は屋上にあります。勝手にあがっては危険ということで職員に案内して貰う必要があります。 「抽象化された4人の像が立ち、複数の協力によって、その総合力が昇華されていると感じと同時に、個々の曲線は内に向かって祈る姿勢を表現した」ブロンズ像で下半部は清楚で堅牢な伊予石と黒御影石からなり、作者はNHKの碑と同じ伊藤顕氏です。碑の裏は「役職員物故者のみたま ここに鎮まる その偉業をたたえ景慕 敬弔の誠を捧げる 創業九十周年を迎えて 昭和四十三年十一月 頭取 井藤勲雄」
 銀行内の慰霊碑は、銀行の開店時間中という制約があります。1993年訪れた時は犠牲者の数などについて問い合わせて見ましたが、お役所流の判りませんというような返事しか返ってききませんでしたが、2002年5月22日に再度訪れたら、ちゃんと案内出来る方が配置されており体験記なども含めた資料を頂けました。