初めての「ヒロシマ」案内


                               原水爆禁止広島協議会                              常任理事  松江 澄

  一昨年の秋だったか、久し振りで会った戸村君から単刀直入に、「ヒロシマの平和運動とは何ですか」と問いかけられたことがある。

 戦後来広島で反戦反核運動をつづけてきたつもりだった私は不意を衝かれて、「ともかく自分でやって見るしかないよ」と、答えにならぬ答えしか言えなかった。

 その実直で誠実な彼が一年以上もかかって自分の足で歩き、眼で見きわめながら追求したのがこの書だった。彼は「ヒロシマの今から過去を見て回る会」を皆でつくり、フィールドワークで多くの人々にヒロシマを伝え、「広島案内」という一書をつくりあげたのである。これは彼が一つ一つ歩いて調べたものであり、その殆どのフィルムは彼のレンズがとらえた広島の過去のあかしなのだ。従ってそれはただの地理的な「広島案内」ではない。それは彼によってひらかれた広島の歴史地図なのだ。これをひもとく人は日清、日露の戦争から十五年戦争まで、侵略戦争の加害から原爆の被害まで、一人の日本人として事実を知るために歩き始めるに違いない。こらはまさに広島の遺跡の案内書であるとともに、かって彼が私に問いかけた「ヒロシマの平和運動」の案内書なのである。

 ふり返ってみれば、こうした案内書が出来たのは私の知る限り広島で初めてである。こうした書が戦後はじめて、戦争と原爆の五十年忌を前にしてつくられたことの意味は大きい。いままで広島の加害と被害は多く語られてきた。しかしそれは本来けっしてことばや思想だけの問題ではない。彼は一つの町で起きた二つの課題を足で歩いて堀り起こし、同じように多くの人々に足で歩くことを求めている。それは彼のたゆみない実直で凝り性の職人かたぎがなければ生まれなかった。そうして彼は広島で産まれ、生きて、死んでいった多くの人々や樹木や建物を誠実に歩き求めようとする人々のために一身をつくして労働した平和の職人なのである。

 彼のひたむきな努力と、その努力を助けた多くの人々に心から感謝する。私は一人でも多くの人々がこの書を読み、この書を友としてヒロシマと広島を歩き尋ね求められることを心から期待する。

 すべては事実から始まるからである。


        

松江澄(まつえ・きよし)さんは、2005年1月15日、85歳の波乱に満ちた生涯を閉じられました。長らくお世話になりました。天国から私たちを見守って下さい。