49−1.2003年1月3日、とわだ・さみだれ呉帰港、戦争加担抗議「平和船団」 (1)〜(10)
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左が補給艦「とわだ」、右が輸送艦「さみだれ」、この2艘が、インド洋から一時的かもしれないが2003年1月3日呉港へ帰港。「平和船団」で抗議行動を行ったものをデジカメなるもので撮影したものを報告します。 写真では左の「とわだ」の方が小さく見えますが、撮影角度の問題で「とわだ」の方が大分大きいです。 |
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湯浅さんからの報告文を紹介します。 湯浅です。2003年、最初の行動報告です。 1. 3報告:「とわだ」「さみだれ」帰還時の海上デモ 19人 ボート6隻、13人乗船。 昨日までの好天から、一転して、低気圧が通過するとかで、朝から雨模様。途中で止む気配がないまま、10時過ぎからボートの準備に入った。10時50分、呉YWを出て、11時過ぎ基地前に。既に何人か着ている。そのうち、続々と集まってきた。人数が多いと、準備も早い。11時40分には、大方の体制が整った。順次、海に出る。 |
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12時、例によって、「青いぞ号」に手ゴキをつないで出港。Fバースの右岸には、護衛艦が3席停泊しているが、左岸は、きれいに空いている。左岸に入るらしい。入港までには、1時間近くもあるので、基地の周りで、当直の自衛官へのアピールをしようと基地を巡った。第4護群の護衛艦、掃海艇、練習艦隊など、13隻ほどが停泊していた。私たちは、「抗議文」に書いたようなことについて、自衛官に向け訴えた。1954年の参議院における「自衛隊の海外出動禁止決議」の精神と、当時の政府の見解から、現在を見たときの異様さを改めて見つめるべきことを強調した。 12時半過ぎ、Fバースに戻ると、帰還歓迎の準備の隊員や家族がボツボツ現れている。雨のため、体育館が待機所になっているようで、体育館の近くに傘をさした家族がかなりいた。平和船団を、家族のいるところに近づけ、私たちの思いを訴えた。それからやく30分間、Fバースの左岸を行ったりきたりして、自衛官や家族への訴えを続けた。この時間は、かなり有効だった。 |
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そのうち、沖合いに2隻が見えてきた。陸からは、別のグループが、抗議の声をあげ始めたのが聞こえてきた。これからが、結構、長かった。まず「さみだれ」がタグボートに誘導されて入ってきた。海上保安部が、「タグボートの波が危ないので、東に行って!」としつこい。私たちは、ある程度、それを聞きつつ、できるだけ、Fバースを離れないようにあたりを旋回した。やがて、「とわだ」も停泊したときは、13時45分くらいだった。 | |
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「とわだ」の船体には、緑色の藻がたくさん付着しているのが印象的だった。その周りで、Fバースn向けて、乗組員へのアピールを続けた。そのうち、2時が過ぎた。海保が「時間です」と言ってきた。どうやら、デモ届の時間が過ぎたようだ。正味2時間にわたり、目いっぱいの行動だった。この間、伊達君を中心として、シュプレヒコールも続けられた。岸壁からは、いくつかのテレビが私たちを写しているのがわかった。後半には、雨も上がった。しかし、手がかじかんだり、足が冷えたりと、それぞれ大変だったようだ。 | |
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アピール対象の自衛艦はウヨウヨ、いつ来ても多いですね | |
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