51−6.2003年1月18日、イラク攻撃と日本の参戦に反対する広島県民大集会、デモ(51)〜(60)

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ピースリンクの湯浅です。1.18広島での取り組みの報告です。写真などは、ピースリンクのホームページに、「戸村さんが取られた写真コーナー」として入っています。
検索エンジンで、「ピースリンク広島・呉・岩国」で検索するとでてくると思います。


           1/18広島県民大集会

広島城の北東に位置し、城堀の外側にある適度な大きさの城北公園を会場として、広島県民大集会が開かれた。時折、陽もさし、風もない暖かいひになった。低気圧の通過で、前夜は、雨が降っていたが、絶好の屋外集会日和りである。この日は、米国のANSWER(Act Now to Stop War & End Racism)が呼びかけて、ワシントン、サンフランシスコ、シカゴなどで大きな集会が計画され、世界的にもそれに呼応した行動が計画されている。そこで、昨年秋以降準備してきた私たちの集会の日程もこの日に合わせたわけである。
 この集会は、昨年の10月18日、公表した「有事法制3法案の廃案を求める被爆地広島の学者・法律家・宗教者・医師・芸術家・有識者150人の声明」がきっかけとなって、声明賛同者の名において、「有事法制を廃案にさせ、アメリカのイラク攻撃と日本の関与に反対すること」をめざして、思想・信条を超えた幅広い広島県民の結集を呼びかけて実現したものである。声明には、大学人・学者64名、宗教者41名、法律家22名、医師9名、芸術家・有識者14名と幅広い分野の150人が名を連ね、この人たちが市民に呼びかけたものである。あくまでも一日共闘であり、思想・信条、社会的立場などを越えて、日本を「戦争ができる国」にしてはならないと思う市民が結集したわけである。
 
 3台の宣伝カーを使って、大きな横断幕を張り、車の上を演台とした。13時頃からぼつぼつと人が集まり始めた。13時30分には数百人が集まってきており、開会前に音楽と合唱が始まった。まず、サヤンが、アフリカの民族音楽を威勢良く、太鼓を鳴らして歌い、踊った。次いで、歌声協議会のメンバー約20人がイマジンなどを合唱。
 14時前、予定通り開会。下中さんと僕が司会となり、開会を宣言し、主催者を代表して共同代表の一人である岡本修道大教授があいさつ。「原爆の被害を受けた広島の地から、戦争反対の幅広い声を上げていくことが、今、国際的に見て強く求められている。広島の動きが国際的に期待されている」と力強く呼びかけた。この頃には、既に1000人を有に越える参加者が来ていたと推定される。演台を中心にして、放射状に人々が集まっている。来賓として、金子哲夫さん(社民党衆議院議員)、林紀子さん(共産党参議院議員)、栗原君子さん(新社会党元参議院議員)の各氏が順次あいさつ。
 次に、年末に市民調査団としてイラクを訪問した核兵器廃絶をめざすヒロシマの会の森滝、嘉指(かざし)、久保さんが壇上にあがり、森滝さんが代表して、簡単な報告。時間がなく詳しい話はできなかったが、湾岸戦争後の空爆の継続、経済制裁による被害の増大、そして劣化ウラン弾によると見られる白血病やガンの実態がなまなましく話された。また、アメリカのイラク攻撃が目前に迫っているかもしれないと言う情勢でも、市民はごく普通に暮らしているというリアリテイが伝わってきた。27日
夕方の報告会(平和資料館地下)に来て欲しいというアナウンスをしていた。
 次いで、集会のきっかけとなった150人声明の賛同者の発言。有る意味では、これがミソなのだ。浄土真宗本願寺派の小武さん、日本キリスト教団廿日市教会牧師の柴田もゆるさん、弁護士の井上正信さん、福島生協病院院長の斉藤紀さん、最後に児童文学者の三浦精子さん。話がやや長くなり、司会としては困ったが、それぞれ味のある、心のこもったスピーチで、新聞報道でも三浦さんなど何人かの発言の骨子が紹介されていた。
 この頃には、人垣が、公園の際一杯にまで広がりを持ってきており、演台から見ていると参加者が増えてきていることがよくわかった。主催者発表なので、2000人というべしという説もあったが、かなりひかえめに、ほぼ実数として1500人の参加者として発表した。最後に、運輸労働者として全港湾中国支部委員長の川田澄さんが労働者の立場から、有事法制の廃案とイラク戦争反対の強い思いを語った。
 集会アピールは県医労連副委員長の垰崎直子さんが読み上げ、参加者全員の大きな拍手で採択した。最後に、世話人を代表して、広島大名誉教授の北西さんが「幅広い枠組みで、国際的な共同行動の一環として、この広島でこのような集会ができたことはすばらしい。これで終わるのでなく、今日の集会をステップにして、更に参加人数を5千、一万人と増やして、波状的に、このような集会を積み上げていくことが必要だ」と強く訴えた。
 3時10分過ぎ、デモに入り、世話人と来賓の横断幕を先頭に、市民運動、労働組合の順に、長蛇の隊列が続いた。城堀の東側を南下して紙屋町に出て、そこから電車通りを駅に向けて歩く、約2.5キロで、解散地点の稲荷橋では、最初の隊列が解散してから、最後が来るまでに30分くらいはかかった。最後の隊列が解散したのは、4時40分であった。
 昨年の7月頃からの、当初、100人声明をきっかけとした幅広い枠組みでの集まりを企画した動きが何とか実を結んだ。市民運動が事務局を担って1500人規模の集会をやり切れたことは広島としては、画期的なことだ。