89-2.2003年7月15日.「とわだ」「あさぎり」インド洋派遣「平和船団」抗議行動(11)~(20)

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何度もぐるぐる回り、下記の報告の通り、自衛隊員、家族に訴えました、反応は悪くないように感じました。
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岡本三夫さんもプラカードを
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 左が「とわだ」、右が「あさかぜ」
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セレモニーが始まったようです
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 自衛隊員に訴える湯浅さん
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(湯浅さんからの報告)

11日の『中国』新聞が補給艦『とわだ』、護衛艦「あさぎり」が出ると報じてから、一つ一つの既成事実に抗していくことが重要と、できるだけの行動をしようと考えた。13日、中止の要請書を小泉首相宛て送付した。そして、今日は、海上からの抗議と、自衛官や家族へのアピールをするべく海上デモを行なつた。実は、前夜まで、4人くらいしか集まらないということで、それでもやらねばと決意を固めて朝を迎えた。10時半、H,N、K,そしてもう一人Hさんの連れてきた人、5人でボートの準備。倉庫の中が、かなり荒れていたので時間がかかると予想されたが、11時30分には準備完了。が、6月13日に原発輸出のときからハンドマイクのワイアレスマイクが見当たらない状況は不明のまま。
 準備に関わったメンバーは、何とそれぞれ用事があり、そこで解散。12時20分過ぎ、出発。潜水隊前には、既に、海上保安部の専門官など数名が来ていた。Fバースには、北側に『とわだ』が、南側に『あさぎり』が停泊しているようだ。訓練支援艦などが周りを取り囲んでいる。前夜、広島などに強く応援を要請した結果か、最終的には11人が集まった。これで何とか形になる。中には、初登場の広島修道大の岡本さんまでいる。私の『悲痛な』メイルに答えてくれたことが、本当にうれしかった。
12時50分から13時30まで、準備。いつものことながら、今日もテキパキと進む。やはり15年目ともなると、それなりの経験がたまっている。海上保安部の専門官なる人が寄ってきて『湯浅さんですよね?』。聞いてみると、10年ほど前に、伊方原発の海域で何回か平和船団を出したことがあるのだが、彼は松山海上保安部にいて、対応したメンバーの一人だったという。驚いた。伊方では、手続きの関係で、エンジンを使えないということになり、相当もめ、結局、エンジンをつけたままとにかく海に出て、使用しないということになり、実際は、時々、エンジンをふかすということをやったことがある。その時の保安部の係官だったというわけだ。何か懐かしくなつた。またあるときは、波が高く、用意したのに海に出れず、原発が見える丘で、ボートを膨ら
ませて抗議したこともあった。
 13時45分頃から、順次海に。青いぞ号を始め、6隻に10人が分乗した。陸には、僕らのほかにも3つくらいのグループがきていて、既にシュプレヒコールを挙げている。それぞれ10人に満たないが。僕らがスタートに当たり、海上からシュプレヒコールを挙げると、何故か陸が呼応するのです。これにも参つた。
 早く、Fバースに行こうとスタート。まず、様子見のため、伊達君がシュプレヒコールをしながらFバースを1周してみた。やはり、Fバースの先端が一番よさそうだ。2時30分から3時頃までは。船は動かないはず。この間が、自衛官や家族にアピールするタイミングだ。Fバースの先端には、見送りの自衛官や、何より家族がたくさん来ている。マスコミもテレビも含めて、皆こちらを見ている。一時は、こちらに向けて野次を飛ばす人間もいたが、今日はそういう雰囲気ではない。何故か、皆、こちらのほうを向いている。
 結構、興奮しているので、よくはわからないが、次のようなことを訴えた。
「既にこの作戦の正当性はきわめて希薄である。これまでに海上自衛隊が米軍に供給した燃料が、米軍が使用した全燃料の実に40%に相当するというのは驚くべきことである。米英軍の一方的な爆撃によって、アフガニスタンでは少なくとも4千人以上の一般市民が亡くなり、兵士まで含めれば、おそらく何万人もの人々が殺されている。その殺戮の一端を、海上自衛隊は、まぎれもなく担っているのです。
 さらに5月になりイラク戦争参加のためインド洋を通る米軍の全艦艇に日本のテロ特措法に基づく燃料補給が行なわれていたことが明らかになる。
 自衛隊を海外に出し続けることは、必ず後世に大きなツケを残します。1954年6月、自衛隊の発足が決まったときの参議院における「自衛隊の海外出動禁止決議」の精神と、「決議の趣旨は、十分これを尊重する」との政府の約束を思い起こしてください。自衛隊が海外で作戦行動をすることを「普通のこと」にしてはなりません。
私たちは、戦時下の派兵を担うべく「とわだ」、「あさぎり」が呉から出ることにあくまでも反対します。それは、自衛隊員や家族の願いでもあると信じます。
 自衛隊員と、ご家族の皆さん! 有事法制が成立し、イラク新法が衆議院を通過したとき、皆さんは、どのような想いで、それを受け止めたでしょうか? 政府と与党の議員は、憲法9条を捨てる宣言をしたのです。それは同時に、自衛官の生命と人権を無視するという宣言でもあります。これは明らかに憲法違反です。全ての国民は、人権と生命の安全を保証されているはずなのです。
 しかも、海外での作戦行動が、本当に、人類の幸せや希望につながると思いますか。アメリカの一国主義を強めるための、極めて利己的な作業のために、まことしやかな嘘を掲げて、アメリカ支援をしているだけではないのか? 」
 桟橋では、壮行会が行なわれていた。岡本さんにもマイクを渡し話してもらった。
3時前、錨があがり、タグボートが動き出した。海上保安部は、タグボートの波が危険なので、離れろと支持。巡視船の波のほうが余程危ないのにだ。2隻は順次スーと出て行った。フェリーがきて、この航路を横断するのは無理と判断し、帰路に。帰り際、再度、Fバースに戻り、まだ残っている家族に、僕らの思いを訴えた。
 「今、2隻が出て行ったが、家族の皆さんの心境を思うと心が沈みます。不安と不満が渦巻いているのではないでしょうか? 有事法の成立、イラク支援法の衆議院通過など、自衛隊が海外に出て行けるという法律が、矢継ぎ早に出来ていることについて、皆さんこそ、もっとも不満に思っておられるのではないですか?政府と与党国会議員は、自衛官から戦死者が出ても仕方がないことを前提に賛成しているのです。皆さんは、それをあえて受け入れますか?
しかも、アフガンでも多くの市民が殺されていることの一部の責任は、自衛隊の燃料供給にあることも事実です。今、自衛官はこのような構造に置かれているのです。」
後で聞いた話だが、涙を流して、じっと聞き入っていた女性がいたそうである。今こそ、自衛官への働きかけを日常的なものにせねばならないタイミングを迎えているのではないか。その仕事が、戦争が出来る国になることを止めていく大きな戦略的課題として浮き彫りになりつつあることを今日の行動で共有できたといえる。他方で、私たち一人一人は、それぞれの生活や仕事で汲々としている現実は現にある。それを踏まえつつ、自衛官や家族とつながっていく具体的手段を築いていくことが求められている。