122−2.2003年12月23日.無意味な戦争を始めた祖国への怒りーペギー・ギッシュさん講演会(11)〜(20)

(11)

ペギーさんの話が続きます。(下にさとうさんの報告2)

 

(12)
通訳は小倉桂子さん。先般、エノラゲイ展示の抗議団に参加されまし
     た。
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会場からの質疑応答に答えます。
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大江厚子さんからの質問については、「自衛隊が派遣されれば、危険な目に会うことは目に見えている。     アメリカ兵の支援部隊が来たみなされてしまう、」と警告しまし  た。
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通訳は岡本三夫先生と交代
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「自衛隊の派遣は、日本NGOも一緒と思われて危険だ。」 とも危惧しました。
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憲法改悪への動きにどう対抗するかとの質問に対しては「真実を伝え合う事しかないのではないか。
     報道機関の注目を集めるような運動をつくって、抗議しつづけるような運動、新聞社に手紙を書きつづける、子どもたちに平和教育を続けるなどがしていければよいのではないか。

     ガンジーの非暴力主義について、世界中の子どもが学ぶ事が   必要ではないか、」
と話しました。
(19)
アメリカが、九条改悪の動きを後押ししているのではないか、それを伝えてほしいとの意見に対しては、
     「全くそのとおりだと思う、アメリカに帰ったらそういう ことも話して行きたいと思うし、真実を伝えて行きたいと思う」と答えました。アメリカでは「なにも書いていない小切手をプラカード」を立てて、「ブッシュにフリーハンドを与えるな」
(20)
公明党が平和イメージを打ち出しているが、注意する必要があるとの意見も出ました。

            

(ペギーさんの話2)−さとうさんの報告より

アメリカ軍の所業
     ブッシュは、約束を全く守っていません。電気、水、治安などが不足している。
     アメリカ兵が探索する方法は、乱暴で暴力的です。1991年、湾岸戦争の終わり頃、ブッシュ(父)が民衆よ立ちあがれ といい、人々は立ちあがったのだが、ブッシュは助けず、フセインに全て殺されてしまったのです。宗派を超えてお祈りし、こういう悲劇をおこしてはならない、という 集まりを持ちました。

     パルージャでにしばらく滞在しました。激戦地です。

     ものすごくたくさんの人が非暴力で抵抗したのです。軍隊が学校を占拠したのです。それに対しても、非暴力で抵抗したのです。
     その中の一人が石を投げたら米軍が過剰反応し、8人が死亡し、75人が怪我をしたそうです。
     わたしたちは、色々な事をするのですが、まずは話しを聞きニーズを探るという方法を取ったそうです。

     検問所ではイラク人を叩いたりしているのを目撃したそうです。アメリカ人ですので、兵隊のところへ行き、アメリカ人という特権を使って、アメリカ兵のところへ行きました。人々を大切にしろ、と注文をつけました。     全部が全部悪いわけではなく、親切な人もいれば冷酷な人もいた。 抗議行動をしているのを目撃。群集が、抗議している後ろで、戦車の 上で銃を構えていました。
     例え、撃たなくても、恐怖感を与えるものです。

   77歳の女性が注意したそうです。
   ある女性のグループは戦後、女性が襲われるなどの事態も起きており、(戦前はなかった)、それに対応しているグループもいます。
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     「ブッシュのための公共事業」に広がる抗議

     70%ものイラク人が失職。その人のための労働組合を造るなどの仕事をしている人もいます。
     イラク人の怒りは、戦後復興の御金は全てアメリカに流れ、イラク人には流れていないということに、怒りが広がっています。
     失業者達は「職を職を」と叫んでいました。--------------------------------------------------------------

     イラク人権委員会という団体と共に働きました。アメリカ兵に捕まった人の家族を助けるのが仕事です。 私たちは、米軍へ行き情報を集めました。 家族が直接司令部へ行っても英語も喋れず、IDもないので、相手にされないそうです。


     わたしたちがある不明者を探すときは、その状況を持って行って、情報を探します。
     退職した御医者さん・タリ‐ブさんの状況を尋ねました。 ある日、家族がドアが壊れる音で目を覚まし、泥棒 カと思ったが、気がついたら家全体が米兵に取り囲まれ、家を射撃しました。英語が上手なタリーブさんは、私たちは暴力を振るわないので入ってください、といったが、米兵は、弾を撃ち込む。


     止めろと言っても、2時間半に渡って弾を撃ち込みました。
     夜中の3時ころ、米兵が家に入り、人を殴りつけ、家具を壊し武器を探しました。
     武器がないとわかった後、タリーブさんに話しました。「アチーブさんですか?」と聞いたが、「それは違う、向こうの人です」 といった。その後、米兵は去って行った。


     「あなたの3人の息子を連れて行かないといけない」 が、3人の息子を連れて行きました。
     1ヶ月後に「どこへ連れて行かれたのか」消息知らずになっていました。
     8時間かかるイラク南部に居ることが分かりました。3人のうちに1人は解放されましたが、あと2人は捕らわれたままです。
     御話しよりもっと悪い状況があったそうです。数え切れないことがあったそうです。

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     私たちは、こうした数え切れない事を、アメリカ政府にして、帰りました。
     アメリカ兵に対して尊厳を持って扱う事。不必要暴力を使わない事、拘束するとき、捕らえるとき、     手荒くやらないようという警告のチラシをつくってアメリカ兵に配っています。 一人一人が小さいとか、思わないでください。 しかし、協力すれば、大きな力になる。


     小さいもので力がないと思わないで、世界のために やって行こう。
     イラクの人はそれを知っていて、ありがとうといってくれている、わたしは、イラクの人に変わってそのことを知らせて行きたい、といいました。