134−1.2004年2月14日、戦車揚陸艦「おおすみ」のイラク派兵、呉出航「平和船団」抗議 (1)〜(10)

(1)

出だしは好天気だったのですが、肝心の式典がある時間の直前に「春一番」の風雨に見まわれ、勇んでいた迫力ある現場写真は撮れませんでした。

下に湯浅さんからの報告(海上からのアピール例は長くなるので次ページに)がありますので事情を察知してください。

2月14日付け中国新聞ホームページ「おおすみ」呉基地を出港 イラク支援及び隊員「不安より誇り」 市民団体は抗議・激励

同日付け毎日新聞ホームページ、「イラク・自衛隊派遣 県内各地で抗議行動相次ぐ 声明やデモ、要請書」 及びシリーズ「呉からの“派兵” 揺れる基地・街/上 自衛官にも矛盾の思い?」「  呉からの“派兵” 揺れる基地・街/中 海自艦出港「元気で帰ってきて」「 呉からの“派兵” 揺れる基地・街/下 無事帰国まで続く“痛み”」 も必読(消えたので7ページ目下に掲載)

さらに2月15日中国新聞ホームページ、海自「おおすみ」呉出港 イラク支援、陸海空そろう 見送り家族思い複雑 「おおすみ」出港 呉の海、抗議の連呼 支持も交錯「頑張って」 市民冷静 おおすみ出港の呉 参照

 

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このあたりは快晴の暖かな天気だったのですが。ボートを降ろしながら良い写真を、とこの間、1月30日、2月8日と「平和船団」に出れていませんし、翌日の「さみだれ出航」にも出れませんので、その分、頑張る決意でボートに乗り込んだのですが残念。

朝日新聞、読売新聞にも記事が出ていました。

 

 

(3)

普通ならこのあたりでは余り写真を撮らないのですが、「天気予報」は「春の嵐」だったので撮っておいたものです。向こうに音響測定艦「ひびき」、その後が翌日出航予定の「さみだれ」、その右にひときわ大きい、この日出航予定の「おおすみ」が見えます。

 

湯浅一郎さんからのこの日への呼びかけは3ページ目下に

(2月13日の海上自衛隊への申し入れの様子の報告と要請書は4ページ目下に)

 

 

 

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さあ、12時前、今から出ようと乗り組んだところ。
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岸壁には1番左に「日本共産党」、真ん中に「中核派」、そして機動隊をはさんで右に「右翼」が見えました。
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このあたりまではこれからどんどん近づいていくぞ、と張り切っていたのですが。

 

 

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このあたりの写真が一番いいのになるなんて残念。もっと迫力が欲しいためにあえて体調不良をおしてボートに乗り込んだのに。

 

 

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「さみだれ」(翌日出航)のそばにきました。

            

ピースリンクの湯浅です。
14日の呉港での報告です。

         揚陸艦「おおすみ」の呉出港反対行動
                    海上16隻、30人、全体で50人強

 「風が強く、これ以上の、海上デモは危険です。」海上保安庁の現場の責任者がしきりに声をかけてくる。14日の午後1時15分頃のことである。私たちは、呉港にいつものように、ゴムボートを浮かべ、「おおすみ」のイラク派兵が強行されようとする状況にものを言おうとしていた。確かに、風は強かった。うねりも出てきた。

 また雨が降ってきた。これはまいったな。あとで思えば、せめて、エンジン付きを残しておけばとも思ったが、ここで事故を起こしたら元も子もないので、引き上げることを決断した。何とも後味の悪、満足感のない海上デモだった。昨年来ずっと天気には恵まれてきたのに、何と本番でやられてしまった。夜のニュースは、早くも春一番が吹き、各地で、農作物の被害などが出たと報じている。確かに南の風で暖かく、黄砂のように空は黄色くなっていた。我々もその被害者の一人なのだ。


 朝、10時、呉YWCAに集合。昨夜、3人で積み込みは終わっていたので、とにかく現地に。1時から基地周辺は交通規制がかかるのだ。いつもボートを準備する潜水艦基地の入り口は、機動隊の車でびっしり。我々の車を置くところがない。新左翼の党派が約80人ほどが既に来て、シュプレヒコールを重ねている。神戸製鋼側では、大きな日の丸を振って、右翼が100−150人ほどで、激励。ゴムボート数隻で出る予定だったが、ほとんど沖には出れなかったとのこと。これを区別するため、機動隊が出動していたというわけである。


 警察と交渉して、ボートのつみおろしに停車することは許可された。が、下ろしたあと車の置き場がなく、呉YWCAに車をもどし、タクシーで来ることとなった。既に、10人ちかくがいて、とにかく膨らます作業を始めた。12時過ぎ、何とか16隻のボートを2チームにして、海上に浮かべ、何度か周回したあと沖に向かった。海に出たのは30人。陸に20人ほどが残った。


 初めはたいしたことなかったのだが、途中南東の風が吹き出し、潜水艦に5−6隻が吹き付けられ身動きできなくなる場面もあった。板を持って掲げていたときに強風にあおられ、2人が海に落ち、海上保安庁に助けられると言うこともあった。自然が相手とはいえ、これほど苦戦した海上行動はなかった。


 1時30から約45分、陸に上がって、主にシュプレヒコールを中心に抗議の声を上げた。2時5分頃、「おおすみ」からの黒煙が一段と大きくなった。ある党派の学生部隊の3隻が、海保から離れるように促され、「おおすみ」がスーと出て行った。


僕らのボーtもいつもはこういう風に見えているんだろうなと、変な感慨がこみ上げた。
 船が出た後、いくつものマスコミから、「おおすみ」の派兵が始まってしまったことについておコメントを求められたが、伊達君らが場を取り仕切って、名古屋、広島からのメンバーに発言をお願いしてくれていた。最後に、今日のまとめとお礼をして、散会。


  行動としてはやや不発に終わったが、自然相手ではどうにもならない。人数としては、50人を超えており、この間の行動の蓄積がもたらした地力のようなものを感じた。


 呉YWCAで一通りの片付け。明日も、早朝、7隻ほどのボートを出す予定だ。今回の勝負の一つは、15日の護衛艦「さみだれ」に対しても、執拗に行動を行うことだと思う。政府は、二日続けての海外派兵・派遣をつうじて、まさに「派兵国家」への道を暴走している。その姿を見届け、憲法九条をめぐる攻防に視野を合わせた取り組みが求められていることを強く意識した一日だった。広島、三原、福山、三次などの県内はもとより、名古屋、鳥取から来ていただいた皆さんに心よりお礼申し上げる。