191−3.2005年4月10日.「被爆60周年 核兵器廃絶ヒロシマのつどい」(21)〜(30)

 (21)  
   ひろしま少年少女合唱団」の歌がはじまります。
 (22)  
   「折り鶴のとぶ日」
 (23)  
   
 (24)  
   
 (25)  
   在日朝鮮人児童も加わって「世界中の子どもたちが」と歌われました。
 (26)  
   
 (27)  
   

集会アピールは、被爆者の畠山裕子さん(下にアピール文)

 

 (28)  
   「NO MORE HIROSHIMA!NO MORE NAGASAKI!NO MORE WAR!願いではなく、実現していかなければなりません。そのための行動を、できることから一人一人が積み重ねていきましょう」と締めくくられました。
 (29)  
   
 (30)  
 拍手で採択されました。

           

 『被爆60周年 核兵器廃絶ヒロシマのつどい』アピール

 広島・長崎に原子爆弾が投下されて今年で60年、私たち被爆者は、地獄と化したあの日から始まった惨禍を未だに忘れることはできません。一発の原子爆弾によって、ある者は‘‘あっ”という言葉すら残すことなく消え失せ、ある者は影だけを残し、そしてある者は業火に焼かれうめきながら苦しんで亡くなりました。こうして原爆に焼かれた日本人、韓国・朝鮮人、中国人など、みんな日本が始めた戦争による被害者です。また、廃墟と化した広島で生きることの苦しさ、悲惨さは言葉に表すことはできません。さらに、被爆者であるがために、故なき差別にも苦しめられました。こうして生き延びた60年の歳月は、あの日を体験した者や家顔たちの心と身体に大きな傷を残しています。

 生き残った被爆者は、改めて人の生命の大切さに思いをはせ、過ちを繰り返させないために、被爆体験を語り核兵器廃絶と恒久平和を訴え続けてきました。その願いは、理解ある多くの人々の力を借りて、三度核兵器を使わせず、核兵器削減の世界の流れをつくり、5年前の核拡散防止条約(NPT)再検討会議において、核保有国に「核兵器廃絶に向けた明確な約束」をさせるまでに至りました。

 しかし近年、世界では、大義なき戦争をしかけ気に入らない国には核兵器の先制攻撃も辞さないと公言するアメリカの横暴さが目立ちます。「アメリカ流の自由」を世界に強要しようとしていますが、他国にとっては「アメリカの言いなりになる自由」でしかありません。アメリカは、自らの一国支配の暴走行為が暴力と怨恨の連鎖しか生み出しておらず、核兵器の独占的保有の野望こそが他国の核武装を推進している現実に気付かなければなりません。

 私たちは、戦争も核兵器被害も、人間によってのみ、もたらされることを知っています。ヒロシマの体験は、人間の犯した犯罪行為の最たるものです。同じ過ちを繰り返そうとする動向は、歴史に学ぶ人間の営みではありません。
 私たちは、人類史的過ちをくいとめるために、あらゆる国、地域、思想信条の人たちと結び付きたいと願っています。その時は、危機が目前に迫る今をおいてほかにありません。
そのために、被爆を体験したヒロシマを知る人こそが、声をあげていくことが求められているのではないでしょうか。
 NO MORE HIROSIHIMA!NO MORE NAGASAKI!NO MORE WAR!願いではなく、実貌していかなければなりません。そのための行動を、できることから一人ひとりが積み重ねていきましょう。

2005年4月10日
『被爆60周年 核兵器廃絶ヒロシマのつどい』参加者一同