194−5.2005年5月3日.憲法記念日リレートーク(41)〜(50)

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木原さんは、核兵器だけでなく原発も危険と訴え、上関の原発建設問題(調査開始)と日本の原子力政策を警告。

 

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この日、「第九条の会ヒロシマ」を代表して発言されたのは岡本珠代さん。戦争は弱者を排除しますます傷つける。((発言原稿は下に)

 

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 西浦さんの健闘がひかります。
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この子ども連れの方の署名、絵になるのか?マスコミやプロ・カメラマンのシャッターを集めていました。

 

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 花粉症マスクの男性が、伊達さんのところで署名。
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 毎日新聞記者、いつもご苦労様です。
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 三原の池田慶喜さんからも発言。
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大久野島のことも含め広島の加害と被害両面から。

 

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   もうすぐ終わりです、再びKーNETの登場。林寛さんです。
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 橋本真さん、再び「憲法九条の歌」

           

 (岡本珠代さんの原稿)

私たちに戦後与えられた 平和憲法の素晴らしさを再確認し、憲法特に第九条を守ることの重要性、必要性を訴えたいと思います。

 今の日本の政府は憲法を変えようとしています。とくに戦争をせず、戦力も保持しないと誓った第九条を変えて、自衛隊を軍隊にし、結局は、日本が心おきなく戦争のできる国になるよう画策しています。でもそんなことをさせてはいけません。この九条のおかげで日本が曲がりなりにも、戦後、核兵器をもたず、先制攻撃をする国にならないで済んできたのです。この九条の条文は決して変えてはいけません。実質的に自衛隊はもう軍隊なのだから、これを憲法で認めたら、米国追随ではなく、米国の核の傘から出て、独自の防衛政策をもった軍事独立国になれるのだという人がいます。とんでもないことです。日本は軍事優先の国になる必要はないのです。そして決してなってはいけないのです。

 日本が軍事大国になったら、おそらく太平洋戦争へと突き進んでいったあの暗い時代へと逆戻りしない保証はないと思います。私は特に若い女性たちに呼びかけたいです。将来お母さんになる方もおられるでしょう。私は戦争が終わった年に国民小学校に入りました。疎開先は東京の郊外の府中市でしたから、東京大空襲の夜は真夜中に東の空が真っ赤に燃えているのを鮮明に覚えています。戦後2年ほどして東京に戻りましたが、焼け野原の掘っ立て小屋のような所に住み、不自由な生活をしました。

 上野駅の比較的近くでしたから、時折行くと駅の地下構内に沢山の戦災孤児たちがおり、また多くの白衣姿の傷痍軍人が物乞いをしているのをよく目にしました。母は終戦の年に生まれた私の弟に飲ませる乳も出ないし、手にとげがささっただけで腕全体が腫れ上がるなど、栄養失調の兆候が甚だしかったです。これは広島・長崎で核爆弾の被害を受けた方たちの悲惨さとは比較にならないかもしれません。しかし、何らかの形で戦争を経験した女たちや子どもたちが戦中、戦後つらい思いをし、戦争はいやだ、2度と起こしてはならないと骨身にしみて感じたことだけはたしかです。

 この第九条の会ヒロシマも実質的な縁の下の力持ちになっているのは女性たちです。皆で力を合わせれば、必ず戦争への道を阻止することができます。でもそれには若い方々の協力が必要です。皆さん、ご自分たちの未来のためだけを考えて下さるだけでもいいのです。ただ平和な世界でなければ、本当の自己実現ができないことを分かっていただきたいのです。そして本当に平和な世界を築くためには、軍国日本の過去を知り、戦争をせず、自由と平等が実現する日本を作りたいと決心して下さらなければなりません。

 戦争は人の幸せを奪い、ささやかな暮らしを破壊してしまいます。人は戦争をするようにできているから戦争は避けられないという人がいます。でもそれは間違いです。戦争を知らない人種や民族もいます。また、努力すれば戦争は避けられるのです。でも戦争の悲惨な記憶が薄れると、戦争をたくらむ勢力に取り込まれてしまいます。戦争になったら起こる不幸な事件をもう一つ思い起こしたいと思います。
それは多分戦争体制になると女性や子どもや高齢者など弱い者がまっ先に排除されるようになるということです。このことについても近代の歴史は事例に事欠かないのですが、とくにナチスドイツが行った精神・知的障害者の安楽死政策は残虐きわまるものでした。ドイツではナチスによって実際の政策が実行される前に、『生きるに価しない命の抹殺について』などという本が精神医療と法律を専門とする大学教授によって書かれました。ある若い母親はてんかんであったという理由だけで精神病院にいれられ、断種され、そして安楽死施設に送られ、ガス室で殺されました。

 日本では戦時中、障害者の誕生は闇に葬られ、戦後は優生保護法によって、「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止する」ためとして、数多くの断種や中絶が堂々と行われました。ハンセン病の人々の強制隔離や強制不妊手術、中絶もこの法律のもとで行われました。一昨年、広島の脳性マヒの女性が不妊手術を受けさせられた苦悩を描いたビデオが「優生思想を問うネットワーク」によって「忘れてほしゅうない」と題して作られましたが、私たちは自分の問題としてこうしたことを重く受け止めたいと思います。

 戦時体制のもとでは弱者切り捨てが堂々と行われます。非人間的なことが許されてはなりません。私たちは強い者も弱い者も助け合って生きていくのが人間的なのです。とくに若い方々に、このことをしっかりと考えていただき、決して戦争を起こさない、戦争への動きに加担しないことを、誓っていただきたいと思います。