227−1.2006年5月20日.、「住民投票の成果を活かす岩国市民の会」の発足総会(1)〜(10)

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午後2時、大川大地さんが前座で歌われました

 

3月21日読売新聞ホームページに出ていました。(1日で消えましたが。)

中国新聞は岩柳版に

 
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 司会は大月純子さん
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   牧師の大川清さん(後で、同会代表に選出)から、挨拶。圧倒的多数の反対が艦載機移転に対して寄せられたことなどの経過を
報告。
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 「アメとムチ」で政府がいろいろな振興策を提示してくるだろうが、決して基地では豊かにならないと強調。最近、「そうはいっても国が決めたから」と諦めている人に対しては、「そんなに簡単に岩国の未来を諦めていいのか?」と問い掛けました。そして住民投票の成果を生かし、
未来に誇れる街づくりをしたいと檄を飛ばしました。
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 本日のメインスピーカー、小田実さんが、登場。
 (6)  
まず、岩国には36年ぶりにきた、と振り返りました。若き日の小田さんは、べ平連代表。米兵脱走の手助け支援などをしていて、岩国に来ていたということです。その岩国は、米兵の反戦運動の拠点だったということです。 
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あのころの海兵隊員は若かった(平均年齢20.2歳)。小田さんは、そんな岩国滞在中、起きたら、兵隊が立っていたということがあったのです。

 

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それは番兵だったのです。それをうまく利用して、米軍基地の中に、うまく小田さんらは「潜入」。その兵が番人ですから、小田さんらが乗ったタクシーはまんまと営倉(牢屋)の近くへ入れました。そこはホースで水をまいたあとが歴然。暴動があったのです

 

 

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 米兵らもあっけにとられるばかり。一方、日本の公安も当然小田さんをマークしていましたが、門のところで、呆然と待つばかり。
むろん、署長から、いくつかのルートを通じて米軍へ通報が
されましたが、そのころには、小田さんは再び、堂々と脱出。
別の番兵もそもそも、例の兵士のマリファナ仲間で、門が簡単に開いたのです。本当に、兵士に戦争をする気がみられなかったと、小田さんは懐かしがりました。ただ、「今のように、基地の外の市民は運動がなかった。」といいます。
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じっと聞き入る参加者