240−1.2006年12月8日.不戦の誓いヒロシマ集会(浅井基文講演会)(1)〜(10)

 (1)  
 

午後5時半から30分、「平和運動センター」主催で、急遽、平和公園で座り込みがあったそうです。あれやこれやで6時半少し過ぎて、「日米開戦65年」のこの日の集会がはじまりました。

12月9日付け中国新聞ホームぺージに出ています。

 (2)  
 主催は、同実行委員会、憲法を守る広島県民会議、広島県原水禁、8の日平和行動ヒロシマ女の会で自治労会館でありました。
  
 (3)  
 実行委員会を代表して金子哲夫前衆議委員から挨拶
 (4)  
 続いて、向井高志平和運動センター議長から
 (5)  
 
 (6)  
 
 (7)  
 この日のメインの浅井基文さんです。「護憲論の足腰強化−広島の課題−」というタイトルで講演さ
れました。
 (8)  
 

これからの国際社会のあり方として 1、人権・民主主義を中心にすえるのかすえないのか。2、「力による平和」か、「力によらない平和」なのか。というのが視点になると紹介。
1については、「個人を国家の上におく」国家観であり、「国家を個人の上におく」国家観を克服することが必要と訴えました。


そして、2についても、長らく「力による平和」が主流だったが、それが行き詰まってきていることは、ブッシュの先制攻撃の失敗で明らかだということ。また、中国や北朝鮮は脅威だといわれているが、実際はアメリカでさえも北朝鮮や中国が先に攻撃してくることは想定しておらず、アメリカが北朝鮮を攻撃した場合の反撃しかないということ。核実験もいわば、追い詰められての結果であるということ。

 (9)  
 そして、日本国憲法こそが、「力によらない平和観」であると力説されました。それは同時に人権と民主主義を大事にもするというわけです。
 (10)  

そして続いて、日本の護憲論を批判的に検討しました。なぜ、護憲論は足腰が弱まったかについて詳細に検討しました。まず第一に、「力によらない平和観」がなしくずしにされたこと。
戦争責任、とくに昭和天皇の責任の追及が不徹底だったこと。
侵略国家としての反省も自覚的にはされなかったこと。
沖縄の犠牲で平和を維持してきたこと、日米安保条約と九条の矛盾がいつのまにかわすれられたこと。
90年代以降は、「一国平和主義」の汚名を着てしまったこと

アメリカ中心の新自由主義にやられっぱなしであること、などを挙げました。
そして、その根本原因として、護憲論の中に「まともな国家観」がないということを挙げられました。