391−6.2011年9月11日、脱原発比治山(ABCC)デモ(51)〜(60)
   

(51)

 
   

申し入れ書は、放射線影響研究所はこの日は日曜日で休日、正面玄関では受け取れない、通用門で守衛さんが受け取るとのこと。後日、趣旨説明に行き面会することとなりました。

 

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森本直人さんが、2009年4月28日に開催された地元連絡協議会の詳細議事録の公開を求める要望書を読み上げました。その時の審議議題は『急性放射線被ばくによる免疫老化とその他の後遺症に関する研究』は適切な研究課題であるかないか。また同研究が、米国立衛生研究所(National Institutes of Health−NIH)の一研究機関である米国国立アレルギー感染症研究所(National  Institute of  Allergy and Infectious Diseases−NIAID)からの委託研究として提議されたため、その研究が適切であるかないかの判断基準の重要な一つが、米国立衛生研究所・国立アレルギー感染症研究所(以下「NIAID」と略)からの委託研究を受け入れるべきかどうか、という点。

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   ところが、この研究は「核テロ対策」という名目の、すなわち「放射線・核攻撃に対する医学的対策開発計画」という、一種の軍事研究の一環であったこと、また研究のテーマ上使用されるデータは、放影研が大量に保存する1945年の広島・長崎原爆生存者のデータ(以下ヒロシマベースと略)を使用せざるを得ないこと、要約して言えば、アメリカの軍事研究のためにヒロシマベースを使用することの正統性・道徳性・倫理性が大きな論点にならざるを得ないと指摘。  
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(55)

 
   

右は毎日新聞9月10日広島版に大きく掲載された渡田正弘さん。

 

 

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大月純子さんが、福島県民健康管理調査についての質問書を読み上げました。

 

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手渡しました。

 

 

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RCCの山本喜介さん。ABCCが被爆者にとって、どれだけの怨念の対象であったかを示す逸話を紹介しました。

 

 

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福島から尾道に避難して来られた方から署名の要請です。

 

 

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こういうものがはってありました。