460−4.2012年8月5日、8・6ヒロシマ平和へのつどい2012 (31)〜(40) 
   
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 「ヒバクシャ―われらみな核の風下の人々」 豊崎博光さん(フォトジャーナリスト)
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 豊崎さんは、フォトジャーナリストとして世界中のヒバクシャの人たちを長年にわたって取材されてきました。核被害者世界大会の第一回ニューヨーク、第二回ドイツでは原水禁の中心の一人として支えられました。
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 大阪のオスプレイ反対集会を終えて駆けつけられた駆けつけられた服部良一さん(社会民主党・衆議院議員)から特別緊急アピール
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 服部さんは、文字通り市民運動の代表として国会に押し出され、東奔西走、南船北馬の活躍をされています。
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2015年核被害者世界大会へ」と題して、田中利幸さんから。

田中さんは当実行委員会代表であり、広島市立大学広島平和研究所教授でもある

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 「市民による平和宣言2012」(下に)の提案
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 木村浩子さん(呉YWCA We Love 9条) さんが読み上げ。
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 市民による平和宣言2012

生類の破滅に向う世にありて、生き抜くことぞ終ついの抵抗 鶴見和子

昨年3 月11 日に起きた福島第1 原発事故によって放出され、今も放出され続けている大量の高レベル放射能は、福島ならびにその周辺地域住民と環境にはもちろん、今や日本全国、いやアジアを含む世界の様々な地域に及ぶ住民と自然環境にまで危険をもたらしていることは、誰の目にも明らかです。
長年にわたり無数の市民を無差別に殺傷し、生存者の心身両面に激しい苦痛をもたらす核兵器の使用は、広島・長崎の経験からも明らかなように、重大な「人道に対する罪」です。ひじょうに残念ながら、今回の福島原発事故でも、外部・内部の両被曝の結果、これから長期にわたり、予想もつかないほど多くの市民が様々な病気に苦しむことになるでしょう。1986 年4 月に起きたチェルノブイリ事故では、ウクライナ国内の被曝者数だけでも343 万人に上ると言われており、周辺住民の癌や心臓病などの発生率はとりわけ高くなっています。このことから、原発事故も「無差別大量殺傷」という犯罪行為です。「無差別殺傷」ではありながらも、とくに胎児・乳幼児・小児に犠牲者が多いのが、放射能汚染の特徴の一つです。
核兵器使用の結果であれ原発事故によるものであれ、放射能汚染は、住民に故郷を捨てさることを余儀なくさせ、強制移住に追い込み、その結果、地域社会は完全に崩壊します。住民相互の人間関係が断ち切られると同時に、近親者の(主として被曝が原因による)病死、家族別居、夫婦・親子離散などの家庭崩壊を引き起こし、住み慣れない仮設住宅(広島の場合は「原爆スラム」)での孤独死が起きます。すなわち人間社会の崩壊をもたらします。

  核兵器・原子力を使う権力者・資本家は、その結果を「想定外」として、決して責任をとろうとはしません。最初から責任放棄をしているため、被害者が見捨てられるのは当然の結果なのです。市民だけではなく、多数の家畜を含む動物が見捨てられ餓死します。放射能汚染による環境破壊、とくに土壌・河川水・海水の汚染によって、農漁業という人間生存にとって不可欠な第1次産業活動が不可能となります。同時に、その他の全ての「生きもの」にとっても、生存が不可能となります。したがってこれは、日本国憲法前文で謳われ保障されている「平和的生存権」はもちろん、全ての「生きもの」にとって「生存権」の否定を意味するものです。私たち人間の誰にも、全ての「生きもの」の生存権を奪う権利などありません。しかし、そのような権利を、ごく一部の人間が握っているのが現状なのです。

  このように、原発事故による「大量破壊と被害」は、まさに核兵器使用による「大量破壊と被害」に匹敵するものです。なぜなら、原子力の「平和利用」は、本来は「軍事利用」であるからに他なりません。日本の原発開発も、当初から核兵器製造能力の開発と維持を目的としていました。その目的をごまかすために実体のない「非核三原則」が採用され、同時に核兵器用の高濃度プルトニウム製造のための「核燃料サイクル事業」が、これまで10 兆円という膨大な予算を使ってがむしゃらに推進されてきました。福島で重大な原発事故を起こした1 年半後の現在も、政府・産業界は、多くの人間を含む「生きもの」の命を危険に曝す犯罪的政策を廃絶しようという考えは全く持っていません。

  実は、放射能汚染は、核兵器(DU 兵器を含む核兵器製造、核実験、核兵器輸送事故)と原子力産業(ウラン採掘・加工、原発稼動・事故、核廃棄物、核燃料再処理など)の全ての局面で常に起きている重大な問題です。20 世紀半ばから始まった「核の時代」は、かくして、人類を含むあらゆる「生きもの」、すなわち様々な生命体を犠牲にして築き上げられてきた、いわば「殺戮の政治・経済・社会・文化体制」であると言えます。このような体制の確立と維持に努力または協力してきた人間の行為は、人類とすべての生物と地球を絶滅の危険に曝すことを厭わなかった明確な「犯罪行為」であり、現在も多くの人間が、そうした犯罪行為に深く関わっているのが実情なのです。

  この「核・原子力サイクル」による「あらゆる生きものの無差別殺傷行為」という犯罪に対して、今、私たちは一致団結して立ち上がり、「核・原子力サイクル」全体を廃棄しなければ、遅かれ早かれ、地球と人類が破滅するのは目に見えて明らかです。「核と人類は共存できない」という、私たちの先駆者・森瀧市郎の言葉は、「核・原子力と“生きもの”は共存できない」という命題にまで深められるべきでしょう。「人類は生きねばならぬ」という森瀧のもう一つの言明は、思想や信条を超えた普遍的なメッセージです。「人類が生きる」ためには、人類が共存するあらゆる「生きもの」と自然環境が生きねばなりません。今や、私たちはこの言葉の意味を深く噛み締めるだけではなく、そのために具体的な行動を起こすべき時なのです。

8.6ヒロシマ平和へのつどい2012(代表/田中利幸)参加者一同(広島市西区天満町13-1-709 kunonaruaki@hotmail.com

郵便振替01320‐6‐7576「8・6 つどい」)