| 9.宇品線跡 宇品駅跡 (南区宇品海岸三丁目10) | |
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山陽鉄道(現山陽本線)が広島まで開通したのは1894年6月、その4年前の1890年4月には宇品港が完成していました。1894年7月清国との戦いをはじめた日本政府は、この港と鉄道を利用して戦場である朝鮮に兵士や軍需物資を送り出そうとしました。日本はこの年の8 兵士・物資の輸送量が飛躍的に高まると、広島駅と宇品港を結ぶ軍用鉄道が必要になり、1894年7月末、県の役人が動員されて土地の買収がはじまりました。突貫工事は8月20日で完了し、広島駅から宇品港を繋ぐ5900mの軍用鉄道になりました。 左の写真は1995年8月6日のフィールドワークにて。後の建物は糧秣廠倉庫跡(日通倉庫) |
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1972年4月に廃止され、駅舎、線路はそれと共に撤去されましたが、ついに1999年に、後ろの糧秣廠倉庫(1997年1月解体)も、この宇品駅跡も撤去されてしまいました。残っていたプラットホームのわずかな縁石も2004年5月10日から18までに、完全に撤去されました。(撤去工事前日に写真に収めました。) なお、ここの海沿いの道路(海岸通り)を北へ行くと、南警察署前に宇品線跡の空地・木柵が残っていましたが2012年行ってみたら消えていました。そのそばには線路とホームのモニュメントが設置されています。 左の写真は1994年3月12日右の建物は糧秣廠倉庫跡(日通倉庫) |
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左の写真は1994年3月12日 |
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1994年10月16日 |
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1995年6月10日、女学院高校 後の建物は糧秣廠倉庫跡(日通倉庫) |
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1995年8月、ドイツの少年 後の建物は糧秣廠倉庫跡(日通倉庫) |
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1995年9月2日 後の建物は糧秣廠倉庫跡(日通倉庫) |
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1996年8月、静岡の女性を案内 後の建物は糧秣廠倉庫跡(日通倉庫) |
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縁石の跡だけになった宇品駅跡 2004年5月9日撮影。 この縁石も翌日に撤去されました。今は偲ぶものはありません。 糧秣被服廠倉庫跡モニュメントだけか |
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糧秣廠倉庫跡モニュメント |
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