3.饒津神社 北清事變忠死者紀念碑と臨時陸軍檢疫部職員死者追悼之碑  (東区二葉の里二丁目6−48・饒津神社内) 

北清事變忠死者紀念碑

 

門から入って左手の道路際に立っている。六角形をしている 

表 明治三十三年北清事變忠死者記念碑  

(左) 明治三十四年七月十三日建之陸軍歩兵大佐從五勲三等功四級粟屋幹書

(右) 歩兵第十一聨隊

裏 (右) 歩兵一等卒 中川喜六 古田小市 植木光治郎 等76名

   (中) 陸軍歩兵少佐 服部尚 同大尉 古澤正治 等5名  陸軍歩兵少尉 國枝熊雄等6名 陸軍歩兵曹長 大歳健治 等14名  陸軍歩兵伍長 掛江眞二郎等14名 上等兵 水戸方松等15名の名   

      (左) 陸軍歩兵歩兵一等卒 平野多治郎 第一補充兵 山口県崎喜一等98名の名

 ※ 建立年月日 明治34年7月13日

 ※ 建立の由来

北清事変に出征した、歩兵第11連隊の戦死者の氏名を刻す。この碑は、戦死戦病没者の霊を弔いかつ記念するために建立されたものである。

 ※ その他、特記事項  碑文は、陸軍歩兵大佐粟屋幹。

 北清事変というのは、「義和団の乱」に対する列強干渉戦争のこと。

説明板

「北清事變忠死者紀年之碑

明治三十二年(一八八九)より明治三十三年に列強の進出に抗した中国民衆の外国人排斥運動(義和団事件)に対し日・英・露・独・仏・伊・墺の八カ国は連合軍を組織してこれを鎮定(日本では北清事変と呼称)。

広島市に拠点を置く歩兵第十一連隊はその一翼を担い出兵。

二三八名の戦死者名を刻字し、慰霊・追悼し、顕彰した。

写真は2012年5月13日撮影。

 

臨時陸軍檢疫部職員死者追悼之碑

   

饒津神社に入ってすぐ右に同型の青みがかった「慓縄柱銘并序」と書かれた碑(明治四十三年に神社の浅野家を讃えて建てられたものだろう。)があるが、その奥にある。

新しく説明板が立てられてある。

「陸軍検疫部職員死者追悼ノ碑

陸軍検疫所は、日清戦争帰還兵を介して伝染病の国内侵入を防止する目的で明治二十八年(一八八五)似島に開設された。

のちに広島検疫所と改名。

船舶六八二隻二三二、三四六名の検疫を行った。

この検疫業務で五十三名の職員が病気等に感染して死亡、追悼碑にその氏名を刻み功績を称えた。」とある。

碑に書かれた文字を直接読み解いてみました。

(表) 遠征ノ師アレハ惡疫ノ之ニ随フコトハ古今の戰史ニ徴シテ明カナリ故に師ノ將ニ凱  旋セントスルニ先タチ檢疫部ヲ設ケ以テ惨毒ヲ豫防スルハ軍國ノ一大要務トス尚モ然ラスンハ縦令捷ヲ外ニ制スルモ病ニ内ニ勝つことは能ハスシテ或ハ病死者ヲシテ戰死者の數ヨリモ多カラシムルニ至ル察セサル可ケンヤ明治二十七八年戰役ノ終リニ於テ我陸軍ハ豫メ臨時檢疫部ヲ組織シ似島彦島櫻島ニ檢疫所を行ハシメタリキ其數船舶六百八十七隻人員二十三萬二千三百四十六名物品九十三万二千六百七十二點ノ多キ上レリ是ニ於テ我軍國檢疫ヲ達シ全局ノ大功ヲ収メタリ寔ニ萬古未曾有ノ盛事ト云フヘシ鳴呼檢疫に從軍スルノ諸氏ハ一身ヲ以テ犠牲ニ供シ一百餘日ノ久シキ毫モ倦怠ノ色ナク遂ニ惡疫ヲシテ豫期ノ如ク甚シキニ至ラシメスヘシテ止ム其功實ニ偉大ナリトス就中陸軍歩兵少尉広田伸頼君以下五十有三名ノ如キハ檢疫中病毒ニ感染し以テ其命ヲセリ洵ニ其功績ハ陸軍檢疫部の偉業と共ニ湮滅ス可ラサルナリ乃ナ同志ノ賛助ヲ得テ之ヲ石に勒シ以て後世に傳フコト云爾

明治二十八年十月三十一日

臨時陸軍檢疫部長 陸軍少將 正四位勲二等功三級 男爵 兒玉源太郎識

(裏) 檢疫ニ從事   病歿セル諸君ノ官職併ニ人名  島臨時陸軍檢疫 所  櫻島臨時陸軍檢疫所

 陸軍歩兵少尉  広田伸頼  陸軍歩兵二等卒 太田熊吉外1名  陸軍歩兵一等軍曹 吉竹吉次外3名   陸軍看病人 横山力衞外1名  陸軍看病人   野崎賢二郎外1名 常用人夫  中牟田福松外1名

似島臨時陸軍檢疫所  陸軍歩兵一等卒 中川圭次郎外12名  陸軍看病人 神崎寅吉外2名  臨時傭 平山茂樹 小  船長 中井楠亀外1名 人夫  藤江松太郎外7名  舸子 神谷藤吉 常用人夫 小原宇吉外11名

 ※ 建立年月日 明治28年10月31日

 ※ 建立の由来 日清戦争が終り、外地から帰国する従軍者のために、臨時の検疫所を似島に設けた。3ケ月に232,346名932,672点もの検疫をした。その館、53名が病気に感染して死亡した。日本に病気等を入らせなかった業績は偉大なるものとして後世に伝えるため碑が作られた。碑の裏面には、53名を刻す。

 ※ その他,特記事項 碑の裏面には、カキ殻が付着している。  碑文は兒玉源太郎(当時海軍少将男爵)

筆者 注 「彦島」は山口県、「櫻島」は大阪府

写真は2012年5月13日撮影。