21.安慰霊碑 (安佐南区祇園二丁目21番安神社境内)

 

表 国のため行きて帰らぬ みたまをしのびて

左 昭和四十五年 西暦1970年 七月吉日建之

裏 祇園地区 慰霊碑建設 実行委員会

  委員長 寺本廣吉等54名

  発起人 祇園地区福祉協議会

(発起人が公的機関ゆえか、地区慰霊碑としては碑文はおとなしい。)

 

写真は2012年10月5日撮影。
   

建立の経緯等=西尾隆著「広島のいしぶみはみつめる」第2集 2000年より

慰霊対象:旧安佐郡祗園町の戦没者・日中戦争・太平洋戦争戦没者は137名。このうち原爆犠牲者は61名。

 旧祇園町こも長束、原、山本の各地区と同様に、忠魂碑は1932年(昭和年)に祗園小学校に建立されていた。しかし太平洋戦争の終戦とともに、学校内の忠魂碑は取り除くよう指令があったため、地元民は解体して地中に埋没した。日本の独立後、長束、原、山本地区ではいずれも忠魂碑が修復され、日中戦争・太平洋戦争の戦没者が合祀されているのをみて,祇園地区にも新しく戦没者慰霊碑を建立したいという声が高まり、慰霊碑建設実行委員会が結成された。地元民から寄せられた浄財で、忠魂碑解体から25年を経た1970年(昭和45年)の夏に、戦没者慰霊碑の建立は実現した。それには日清戦争から太平洋戦争までの戦死者146名が合祀された。日中戦争・太平洋戦争の戦死者は137名で、そのうちわけは「軍人」72名、「軍属」名,「義勇隊」8名・「徴用工」名,「勤労報国隊」名,「動員学徒」38名である。戦没者名簿[2]から原爆犠牲者を数えれば、義勇隊、勤労報国隊、動員学徒の全員に,徴用工の名と軍人名を合わせた61名となる。毎年月末か月上旬に、遺族会による慰霊祭が営まれている。

 なお慰霊碑後面に,慰霊碑建設実行委員50名の氏名が刻まれている。

 安神社宮司・牧原正佳氏:1983

 祇園町遺族会・西本範吾氏(広島市安佐南区祇園丁目):1983日.

 祇園地区慰霊碑建設実行委員会会長・寺本広告氏(広島市安佐両区祀園丁目):1983日.

1]祇園町誌編纂委員会:祗園町誌,P458459,祗園町役場[現広島市安佐南区役所祇園出張所(安佐南区祇園2丁目487)],1970年.

2]祀園呵誌編纂委員会:祇園町誌,P460481,祇園町役場[現広島市安佐南区役所祇園出張所(安佐南区祇園2丁目487)],

1970
写真は2012年10月5日撮影。
   

写真は2012年10月5日撮影。