48.「忠勇義烈」碑 (安芸区中野四丁目21番・中野小学校そば老人集会所正門右) 

 旧道を北に安芸中野駅を過ぎてしばらく行くと中野小学校が見える。小学校の敷地ではなく、中野公民館・老人集会所の敷地と思われる。ここへ行く途中畑賀小学校や近くの、中野一丁目の小さな神社にそれらしき物が見えるので寄ってみたところ、「災害記念碑」であった。このあたり1925年(大正15年)9月に大洪水があったようである。

写真は1994年10月15日撮影
   
 

 表 忠勇義烈(横に)

碑文 「哉明治三十七年戰役也 功烈之崇絶蹟於内外史来牟爰本村從軍士實九十三人而其八人裏屍千馬革或殪千傷庚千疾病為護国紙者八十五名櫛風淋雨加剛健凱旋者命運蓼雖各殊至其功績則安得不垂之於不朽且為以降鑑乎於是碑請篆額第五師團長陸軍中將木越安綱閣下叱而刻諸士姓名於其下知批 中野村軍人待遇會長 小原伊兵衛謹撰  理事 井原壽登 」

  右 明治三十九年十二月建之  左 特別委員 野間隆治等5名

 裏 從七位  (勲、功、正があって階級名が無いのが特徴) 戰死勲六等功五級 吉田貞市  正八位勲六等 井原次郎

    勲七等 林貞五郎   等93名(内戰死4名、病死4名)

   下に軍人待遇委員 波田貞助 植木藤吉等イロハ順に39名の名前

解説板「この石碑は、1904〜1905年(明治37〜38年)の日露戦争に中野村から参加した人々のことを記録に残すために、1906年(明治39年)に中野村の人々によって建てられたものです。この石碑は、日本が歩んだこれまでの歴史における一つの事実を物語っています。この事実をもとに他の国と戦争していたころの社会の様子や歴史などを学習し、二度と戦争がおこることのないよう、平和の大切さについて考えましょう。  1992年(平成4年)6月 広島市教育委員会」

写真は1994年10月15日撮影
 
   
 左の写真は2014年1月24日再訪、撮影
   
   左の写真は2014年1月24日撮影
   
   左の写真は2014年1月24日撮影
   

 左の写真は2014年1月24日撮影