10−7.2004年8月7日「広島湾スタディ・クルージング」(61)〜(70)
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検疫所跡の施設がそのまま保存されている(場所は違うが)のはここだけです。
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説明版、5月に来た時は汚れて読めませんでしたが、この日はピカピカに磨かれていました。 | |
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ここの生き証人、宮崎多助さんが、反対側の木陰で待っておられました。
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1971年の遺骨発掘のことと、浄土真宗の宗教家として護国神社に死者を祀ることに抵抗していることなどを話されました。左は坪井直さん。 | |
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真剣に聴き入る参加者達 | |
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広島県被団協理事長の坪井直さんは「語り部」としても有名です。
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皆さん、1万人もの被爆者が運ばれ、その多くが無くなったと説明されたと思いますが、その運ばれた一人が私ですよ。
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私はその中でも重症の部類に分類されており、多分みんなもう駄目だろいと言っていました。
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坪井さんの話は判りやすく迫力がありますからね
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