10ー11.2013年11月26日、宮島・包が浦、不思議な礎石、弾薬庫跡(101)〜(110)

 (101)16時05分  
円形広場には土砂が。この周りには数多くの封鎖された壕の跡が見えます。 
 (102)16時15分  
 管理センターの近くの山側に隠れています。77個のなんだったのだろう、整然と並んだ不思議な礎石。
 この上に弾薬を載せていたのだろう(弾薬庫が立っていたのだろう)、弾薬を水から濡らさないためにこのように石の土台が敷かれたのだろうというのが今までの推測でしたが、異論もあり、やはり謎です。
 (103)16時15分  
 
 (104)16時16分  
 2003年には77個のこの礎石、2箇所ありましたが、1箇所だけになっていました。数年後には消えるかも。
 (105)16時18分  
   
 (106)16時29分  
 家族用ケビンの奥の山際です。先の大戦のとき弾薬庫として建てられた建物が残っています。

鉄扉は、出汐町の被服廠の扉を思い起こさせますが、事前にそれと知らなければこれが弾薬庫跡とはちょっと判らない、倉庫として使われている建物です。
 (107)16時29分  
 いつもここに来るのは暗くなり始めた時になってしまいます。
 (108)16時30分  
   今はこのように使用されています。
 (109)16時31分  
 次に来た時は消えているかもしれません。鷹ノ巣浦、鷹ノ巣山の日露戦争時の砲台跡は「近代化遺産」として残される様に聞いていますが、太平洋戦争時の戦争遺跡はドンドン無くなって行くようです。
 (110)16時34分  
 包が浦キャンプ場に立っている「毛利元就上陸跡」の碑。かってNHK大河ドラマで、ここでの厳島合戦があったことがドラマになったのはまだ記憶に残っています。これでこの日のフィールドワークは終わりです。一路船に乗って宮島口まで帰りました。

「室浜」の砲台跡にも行きたいところですが、「午後の半日」ではちょっと無理ですね。午前中に室浜に行き、午後から鷹ノ巣浦、鷹ノ巣山というのなら可能ですが。

それに、「室浜」の方は、初めてで案内人無しでも行けると思いますので、特に要望が無い限りいつもフィールドワーク・コースからは外しています。