4.世界平和記念聖堂 (中区幟町4) 
    40年ぐらい前、「パイプオルガンが何時でも聞ける所があるよ」、と教えられこの中に入ってみて驚きました。高い天井、窓にはステンドグラスが美しい。ただ一人黙々とパイプオルガンを弾いている方がおられました。雑踏と共に暮らしている身には、別世界に来た気持ちで、普通の演奏会のように咳払いを気にする事もなく、本物の音色を堪能することが出来ました。 日曜毎に市民に開放して演奏会を行っているとの事で、練習中だったのでしょう。隣はエリザベート音楽大学、このあたりは通過交通もなく市内中心部では静かな所です。パイプオルガンは、1954年西ドイツのケルン市より、敗戦国としての同じ苦しみの中で世界平和の祈りを込めて被爆地広島市に寄贈されたもので、当時としては日本では珍しいものでした。1973年にパイプの数が増やされ改良されています。(左の写真は2004年5月4日撮影)
キリシタン迫害の長い歴史の後、1882年からカトリック教会は広島で布教を始めました。被爆時は「幟町天主公教会」と呼ばれ、現在地にあった。爆心地より1.2キロ。当時の聖堂は倒壊、倒壊を免れた司祭館も延焼により焼失、全ては灰塵に帰しました。司祭館の中にいたラサール神父等は、重傷を負いながらも何とか脱出しましたが、
25人の信者が犠牲になったといいます。助かった神父等は被災者の救護におおわらわとなりました。この経験が、傷癒えたラサール神父(後、帰化して愛宮真備を名のる)等をして、被爆者の慰霊と共に、世界平和への祈りを込めて、教会の枠を超えたこの聖堂の建設を決意させました。世界中の献金により、建築家村野藤伍氏らの熱意により1954年8月まで、4年の歳月をかけて完成されました。1983年に大がかりな補修工事がなされています。
 
 

2006年7月に国の重要文化財に指定されたのを受けて広島市教育委員会によって2009年3月、下記のような説明板が立てられました。

「重要文化財 世界平和記念聖堂

指定 平成18年(2006年)7月5日

概要 三廊式教会堂、鉄筋コンクリート造、三階建、地下一階、鐘塔付、銅板葺

附 正門一基 鉄筋コンクリート造

世界平和記念聖堂は、原爆犠牲者を弔い、世界平和の実現を祈念する場として企画された教会堂です。設計は村野藤吾で、昭和29年(1954年)8月に献堂されました。

全長57メートルで、東端に花弁形平面のドラムを建ち上げ、北側西寄りに高さ45メートルの鐘塔を建てています。平面は東方を内陣とした三廊式パシリカ会堂です。

世界平和記念聖堂は、被爆都市広島における世界平和の実現を祈念する戦後復興建築の先駆的建築で、堂や塔などの全体構成や量的比例が優れています。

日本的性格と記念建築の荘厳さを備えつつ、新しい時代に適応した宗教建築を実現したことで高く評価され、戦後村野藤吾の原点となる作品として重要です。

平成21年(2009年)3月 広島市教育委員会」

(右の写真は2004年5月4日撮影)
 
   全て灰塵に帰した元の教会の門柱が、現在残っています。

左の写真は2004年5月11日撮影