49.基町派出所前のクスノキ              (中区基町20)
   
  説明板の無かった1992年、被爆樹捜しはここから始めました。筆者は植物については人並み以上に素人。種類の判るのは、松と花が咲いた時の桜と梅ぐらいの物で、クスノキがどういう物かも知りませんでした。基町派出所に行って聞いて見ました。お巡りさんは、この辺りで被爆樹といえばちゃんと説明板のついている、基町の被爆エノキ、それ以外には知りません、勉強不足でごめんなさい、という返事。仕方がないから辺りを見回しました。文献には江戸時代からの大木とあります。基町派出所から南に一寸歩いてみると、左手に石垣で高くした中に大木がありました。これだ、これに間違いない、他にこのあたりにはそれらしき樹は無い、そう思ってシャッターを切ったものです。後、写真を持って確認した所、これに間違いないという返事えした。とにかく、でっかい樹だから判りやすい樹です。

写真は2013年4月17日撮影。(左の樹)
  今は(2013年)、「被爆樹木 クスノキ 爆心地から1,110m このクスノキは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、生き残ったものです。まっすぐ伸び、被爆樹木の中ではもっとも高くそびえています。

被爆の痕跡は見たところ判りません。新庄の宮社叢の夫婦楠が最大と思っていましたが、爆心から2キロ圏内を被爆樹の定義とした場合、確かに最大でしょう。


写真は2013年4月17日撮影。