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室町末期からという。天正17年(1589年)毛利照元の広島城築城により、城郭の西の守護神とされた。
廃藩後、第五師団の小姓町倉庫の一角に祠として祀られていたが、1934年、二葉の里にあった招魂社が、現在の青少年センターあたりに護国神社として移転され、国家神道の元に国民を統一していく中で、その翌年このあたりに移された。時の師団長の夢のお告げによるというが、本格的に戦争に入っていく中での事である。原爆により社殿焼失。1957年再建。前の石灯籠は昭和九年十一月、広島市三川町、竹屋町とある。鳥居の前の石柱も同年の物で、二葉の里宮原彦一、妻タニの名が刻まれている。奥には紀元二千六百年記念と記された石柱が建っている。
2009年2月7日撮影。 |