24−4.旧陸軍被服支厰跡、建物の中に−1992年〜1994年 (南区出汐二丁目4) (1)〜(11)
 (1)  
  1992年春撮影。(日付けがはっきりしません。判り次第訂正します。)

日本通運出汐倉庫だった建物。
  (2)  
   左の写真は1992年12月13日撮影。
日本通運出汐倉庫だった建物。
  (3)  
     左の写真は1992年12月13日撮影。
広島大学薫風寮だった建物。車が学生の間にも普及しています。
  (4)  
   左の写真は1992年12月13日撮影。
広島大学薫風寮だった建物の裏の民家との間の細い道路。
  (5)  
    左の写真は1993年8月6日のフィールドワーク。被爆時に近くに住んでおられた宮川裕行さんの案内。

当時、ここは広島大学の薫風寮でした。
生さん立会いの下で。

実を言うと、私(戸村)は、1966年〜67年、19歳〜20歳の時、寮生として1年間ここで生活していました。思い出深い建物です。
  (6)  
   左の写真は1993年8月6日のフィールドワーク。被爆時に近くに住んでおられた宮川裕行さんの案内。

当時、ここは広島大学の薫風寮でした
 (7)  
    左の写真は1993年8月6日のフィールドワーク。被爆時に近くに住んでおられた宮川裕行さんの案内。

当時、こちらは日本通運出汐倉庫でした。
  (8)  
    左の写真は1993年8月6日のフィールドワーク。被爆時に近くに住んでおられた宮川裕行さんの案内。

当時、こちらは日本通運出汐倉庫でした。
 (9)  
    左の写真は1993年8月6日のフィールドワーク。被爆時に近くに住んでおられた宮川裕行さんの案内。

当時、こちらは日本通運出汐倉庫でした。
(10)   
   当時、広大薫風寮だった建て物のそば。
 (11)  
   1994年8月6日のフィールドワークにて。日本通運出汐倉庫