56.光明寺 本堂(日宇那説教所)と原爆慰霊碑 (南区日宇那町13−6)
「被爆建物 被爆時の名称 日宇那説教所(光明寺)(爆心地から4,950m) この建物は、昭和5年[1930年)に日宇那説教所として竣工し昭和20年(1945年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。 戦後、昭和30年(1955年)光明寺に改称しました。」とある。 |
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右が本堂、多くの方が集まっておられた。 | |
左に「原爆慰霊碑」がある。裏に昭和27年という文字が見える。仔細は判らないが、この地区から市内中心部に入って被爆死された方を祀っておられるのだろう。 写真はいずれも2012年10月16日撮影。 |