4.放射線影響研究所(旧ABCC)(南区比治山公園5)

   

 さて、頂上付近に来ました。カマボコ型の異様な建物が旧ABCC(原爆障害調査委員会)、すぐそばに陸軍墓地があります。降りてみましょう。

 敗戦後、アメリカ占領軍は、広島と長崎で直ちに原爆の人体への影響等の調査を始めました。そして1947年3月、日赤病院の一室でABCCの活動が始まりました。ABCCを比治山に建設する事がアメリカから示されると、浜井市長は「市民は必ず不快な感じをいだくだろう」と反対しましたが、1951年1月にここに移りました。ABCCの主な調査内容は、被爆者を中心とする10万人の寿命調査、2万人の成人健康調査、死んだ人を解剖して死因を調べることなどでした。被爆者をモルモットのように体のすみずみまで裸にして調べるが治療は全くしてくれない、ということでこの建物は長らく被爆者の怨嗟の的となりました。

   
 

 そして、近年、米公文書からも、はっきり核戦争のための研究であったことが暴露されています。1975年、日米が費用を折半して運営する放射線影響研究所となり、その研究成果が世界の被曝者の治療に役立っていると言われていますが、現在アメリカは、財政難を理由に研究を縮小しようとする動きを示しています。核戦争のための研究だったことでしかなかったと思われても仕方ないでしょう。

 また、放射線影響研所となってからも、チェルノブイリの事故を過少評価した報告書を出して被曝者の救援への大きな阻害要因をつくったり、1998年辞任した重松元理事長は「ここの研究が原発建設に大いに役立っている」「アメリカが治療しなかったのは地元医師会の要請だった」とか言って被団協等から抗議をうけています。最近は放射線障害を過小評価した報告書を訂正させられたりしています。理事長はその後、バートン・ベネット氏から、大久保利晃氏に(2005年7月から)。