1.天満小学校のプラタナスとクスノキ(西区天満町1)

 (1)プラタナス    

天満小学校の東側門柱から運動場の方をみるとこの3本の木がすぐ目に入ります。プラタナスの幹には熱線で焼かれて出来た大きな穴がありますが、それにもめげず元気に葉を繁らせています。
 天満小学校の児童280人が犠牲になりました。校舎も全壊、全焼した。この子どもたちの中でこの3本のプラタナスは希望へのあかしとなってきています。これからも、子どもたちみんなを励まし続けてくれるでしょう。
 ただし、グランド内にはいるにもちゃんと受付で許可を取って入らないととんだ誤解をまねきます。

 写真は2014年5月7日撮影
 

ひばく木 プラタナス ばく心地から1,270m 

これらのプラタナスは、1931(昭和6)年に卒業記念として植じゅされたものです。1945年8月6日、被ばくにより天満国民学校の校しゃは全かい、全焼し、多くの児童・教しょく員がぎせいになりました。プラタナスは、被ばくの熱線に焼かれたあとが大きなうろとなり、ポッカリとあなが空いています。

 
   
   
   
   
   
   
   
   
   校庭の南端に被爆プラタナスの小さいのがもう一本あります。
   
 (2).天満小学校東南路上のクスノキ    
 

天満小学校の校庭外にも被爆樹はあります。歩道と車道の間に一本ニョキリと立っている普通なら交通の邪魔として取り除かれる場所です。こんなところにもヒロシマの心があります なお、天満小学校内には住本權藏先生之碑、大正三年三月十五日、追慕会建之という被爆遺跡もあります。

被爆樹木 クスノキ 爆心地から1,160m このクスノキは、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え生き残りました。

写真は2002年10月2日撮影

  ここだけ歩道が広いと瀬川博さん。写真は2014年5月7日撮影