21.福島生協病院前に設置された被爆者の絵「陶板画7号」碑  (西区都町42)

  被爆者の絵を陶板に焼き付けた碑を広島市内の街角に設置している「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」が、2005年1月29日、「原爆の絵」陶板7基目を、西区福島町一丁目23番の 福島生協病院西の同病院「若草パーキング」の一角に設置しました。 

写真は2005年2月22日撮影。
   
 

 絵は三十センチ四方の大きさで、近くに住む被爆者の画家金崎是さんの「ピカドン」。原爆投下当時に勤めていた廿日市市の軍需工場から見たきのこ雲と、爆風を避ける従業員の姿を描いています。碑には今後さらに金崎さんの作品7枚を加える計画だそうで、下の写真(2月20日現在)のようにその部分の土台の大部分は既に用意されています。今後、県歯科医師会館、八月には中区の広島赤十字・原爆病院と順次増やし、2005年8月6日の全面的な公開をめざしているそうです。

 絵には「ピカドン 1945(昭和20)年午前8時15分、人類史上最初の原子爆弾が広島に投下されました。街は一瞬にして廃墟と化し、強烈な熱線と爆風、放射線が数十万人の人々の生命を奪い、生き残った人々もいまもなお心と身体の被爆に苦しんでいます。」とあります。

写真は2012年5月12日撮影。
   
   
   
 
   
 
   
 
   

                 

 

その下に

「ATOMIC BOMB MEMORIAL No.7

被爆60年 JONUARY 29、2005

絵/金崎是 (原爆絵本”天に焼かれる”のスケッチより) 募金協力/生協ひろしま

製作/広島中央保健生活協同組合/被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」と金属プレートがそえられています。

2005年1月30日付け中国新聞に報じられています。

写真は2012年5月12日撮影。