48−2.南方特別留学生墓碑(佐伯区五日市二丁目2番・光禅寺墓苑 B−7ブロック)
写真は2013年12月6日撮影。
星月震人(光禅寺住職). 1964年(昭和39年)5月17日建之. .
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NIK YUSOF BIN NIK ALI MALASIA PASSED AWAY 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月、東南アジアから9名の南方留学生が広島文理科大学およびその特設学級に在学し、特別のカリキュラムで教育を受けていた。8月6日には、9名のうちの9名が大学構内あるいは彼等の宿舎『興南寮」で被爆した。マライ出身のニック・ユソフ(20歳,男性)は被爆翌日,広島市西郊佐伯郡五日市町(現在は広島市佐伯区五日市)で死亡したと思われる。 当時,五日市町まで逃げのびたものの息絶えた犠牲者の多くは光禅寺に埋葬された。ニッウ・ユソフ ニック・ユソフと同じくマライ出身のサイド・オマール(19歳,男性)は軽傷であったので,他の生存留学生とともに帰国の遠についた.しかしその途上,京都で症状が悪化し,京大病院に入院したが,9月3日に19年の生涯を閉じた。 |
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このようなニック・ユソフの墓碑があることから,光禅寺には以前から東南アジアからの留学生がしばしば訪れていた。 毎年の8月6日のユソフ供養祭が広島大学の公式行事に組みこまれたこともあって,星月空住職(星月震人師の令孫)は英文を刻んだ銘板の設置を発意した。その熱意は,菅野義信広島大学名誉教授の全面的な協力のもとに1998年(平成10年)7月に実り、英文銘板(石板)は8月6日のユソフ墓前供養祭で披露された。 その英文の和訳をここに記載しておきたい. 「1945年8月6日,原子爆弾は無情にも、突然、広島大学学生寮にいたマレーシア留学生ニック・ユソフ君を襲った。 彼は広島から西部郊外に逃げる途中、このあたりで患絶えた。 光禅寺住職星月震人師は境内墓地にイスラム式の墓碑を建てて埋葬した。ユソフ君のかつてのよき同僚や有志,広島大学の関係者などは、年に1度,ささやかながら慰霊行事を毎年続けている」 菅野義信広島女学院大学教授(広島大学名誉教授):1999年8月24日,26日 光禅寺住職・塁月空師:1999年10月8日. |
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ユソフ君の墓 マレーシアの人 1943年南方特別 留学生として来日 広島文理科大学在学中に被爆し 当地にて死亡 享年20歳 謹んで哀悼の意を捧げる 広島大学原爆死没者 慰霊行事委員会 [墓碑前の石板] The Atomic Bomb,0Ut Of sympathy,attaked suddenly Mr Nik Yusof,0ne Of the foreign students from Mala ysia at the dometry of Hiroshima Univershy on August 6th.1945. [墓碑前の石板]. |