48.五日市町原爆供養塔 (佐伯区五日市二丁目2番・光禅寺境内)

   

五日市の光禅寺には、原爆慰霊碑だけでなく、「南方留学生」関係にものもあると聞いていたが、1995年3月3日に沼田鈴子さん達とフィールドワークで訪れたが、日曜日だったので、多分法事でもあったのだろう、住職さんは留守で説明は聞けなかった。門の中に入ると三役紀念碑と尊皇(碑)(凱旋碑忠魂碑調査報告で紹介)まである。

が、入り口正面左手に、ちょうど平和公園の原爆供養塔を想起させるのこんもりとした土盛りと、モニュメントを見つけ、その中に入っていく方に出くわした。

聞けば、これは五日市の原爆供養塔ということで、今日は動員学徒として市内に入っていて被爆、亡くなった息子を弔いに来たとのことであった。一同合掌。

写真は2013年12月6日撮影。

   
 中に入らせてもらった。ご覧のとおり小さな骨壷がぎっしり並んでいた。ほとんどが原爆犠牲者という。五日市は爆心地から8キロぐらい離れているが、市内に入っていた人も多く、窓ガラスが割れたりした上に黒い雨で汚染されたという。それは前の五日市町原爆慰霊碑に記されているとおりだ。

写真は2008年11月13日撮影。

 
   
   

写真は2013年12月6日撮影。

   
 写真は2013年12月6日撮影。  
   
   写真は2013年12月6日撮影。
   
五日市町陸海軍戦死者墓地入口

右の写真は1995年3月3日のフィールドワークにて
 
   
 さらに、墓地側を見ると「五日市陸海軍墓地」とあり、先の戦争で亡くなった兵士達が、いつ、どこでという説明と共に並んでいる。これは、愛媛にも見られるとの読者からお便りいただいている。全国的にどのように分布しているか調べておられる方もある。

写写真は2013年12月6日撮影。

   
 

写真は2013年12月6日撮影。

   
 軍神杉本某の墓も。

写真は2008年11月13日撮影。

   
 写真は2013年12月6日撮影。  
   
  一般の墓地には被爆死を示すものが多い。左は4人の被爆死を示している。

写真は2013年12月6日撮影。