47.五日市町「原爆死没者慰霊碑」(佐伯区五日市二丁目2番・光禅寺参道) 

    五日市駅近くの車一方通行の狭い道から長い参道が光禅寺に通ずる。この参道の左手前に立っている。車で入るのは困難。正面に、原爆の犠牲となった人々を忘れず 原水爆のない平和な世界を築こう、とメッセージがあるのが特徴。
左の写真は2012年12月6日撮影。

1978年7月26日のフランス核実験に抗議して、8月1日に、この慰霊碑前で40人が抗議の座り込みを行った、という記録があります。五日市町は1985年3月20日に広島市に合併吸収されましたが、それまで長く広島市内や広島県西部の平和運動の中心を担っておられたのが、この町の人々だった、という記憶があります。

   
    左の写真は2012年12月6日撮影。

(碑そばの由来記)

 1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島の上空570メートルで世界最初の原子爆弾が投下されました。その日は雲一つない晴天真夏の太陽がじりじりと照りつけはじめたとき1発の原爆は閃光と同時に大音響を発し瞬時にして20数万の尊い人命を奪い街を廃墟と化した。当時五日市町から広島市内各職場への通勤者、軍指示による建物疎開作業者、市内に点在する公共の事業場、兵器厰、被服厰、糧秣厰、軍需品の生産工場へ動員されていた生徒および女子挺身隊員など多数の町民が原爆の惨禍に遭遇しました。

 原爆はただ単に瞬間的破壊力や殺傷力が大きいだけでなく放射線によって人体の組織細胞まで破壊し永続的原爆症の障害を終生払拭することはできません。

 人類が生きつづけるために再び戦争を繰り返してはなりません。

 原爆を体験した私たちは生証人として非人道的な原水爆の禁止を強く訴えるとともに原爆犠牲者の霊を慰めるためここに原爆慰霊碑を建立しました。

 七尾中学校吉野誠教諭による慰霊碑のデザインは人間が合掌した像を表現したものです。碑文は広島大学教授文学博士森滝市郎氏の揮毫で、蒲谷組株式会社が工事を担当、光禅寺さんのご協力でこの地に1965年(昭和40年)5月23日被爆20周年を記念して町民の浄財で原水爆禁止五日市協議会が建立しました。

 なお慰霊碑には234名の原爆死没者の氏名を謹載した過去帳と五柱の遺骨が安置されています。

   
 右の写真は1996年3月3日のフィールドワークにて。沼田鈴子さん、羽熊直行さん、藤井純子さん等と。