56.教専寺 本堂・経蔵 (西区草津本町15−14)
新しい山門(入口左)に「被爆建物 被爆時の名称 教専寺(爆心地から4,990m) 本堂、教蔵は、昭和20年(1945年)8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。 広島市」という説明板が設置されている。 「歴史の散歩道」の「故選山 教専寺」とある説明板も右に立っている。 |
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右が被爆建物の本堂、左下が経堂。 写真は2012年10月16日撮影。 |
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墓を覗かせて貰った。左のものには昭和廿年八月六日亡 俊男、昭和廿年八月六日亡 エミ子、昭和廿年八月七日亡 チヅ子、と被爆死が並んでいる。その奥の墓にも昭和二十年八月六日の文字が。右の墓には、昭和十八年一月十九日西部第六十三部隊ニューギニア島ニテ戦死 清 二十二才、昭和二十年八月六日原爆死 チエ 四十八才、と刻まれている。残酷なことだ。合掌 | |
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