177−1.2005年1月6日.陸上自衛隊第13旅団、イラク派兵抗議申し入れ(1)〜(10)

 (1)  
 

ついに、この日、広島市内とも言っていいぐらいの海田町(広島市が政令市なる前から合併を呼びかけている町=海田町が拒否)に司令部がある、陸上自衛隊第一三旅団から、「イラク復興業務支援隊」に加わる隊員2人(山口、日本原、出雲、米子等合わせて10人)が六日午前までに出発しました。

6日の中国新聞 7日の中国新聞ホームページに、出発の様子が出ています。7日の中国新聞には抗議行動の様子も。7日の毎日新聞ホームページ7日の読売新聞 でも報道されています。

急遽、この日、午後1時半から第13旅団正門前に集まり、「被爆地ヒロシマ・ピープルズ声明 呼びかけ人会」として、抗議の申し入れを行いました。

 

 (2)  
 

報道陣に知らせされたのが、全日、午後6時ごろだったということです。当然、私が知ったのはそのあと、寝ようと思って最後のメールを開いて初めて知りました。慌てて仕事に余裕が出来たら!とカメラを用意して2段構えで出勤。

何とか、昼から休みをとり、カメラ担当として参加。

 (3)  
 正門に着いたら、このように既に報道陣が待ち構えていました。
 (4)  
 ヒロシマにとっては大変なこと、報道陣には良く判るようです。
 (5)  
 急遽、平和運動平和教育のオーソリティが駆けつけてくれました。
 (6)  
 

「ヒロシマ(陸上自衛隊海田基地)からのイラク派兵を許さない!被爆地ヒロシマ・ピープルズ声明 呼びかけ人会」の主催です。

対応したのは国川克彦広報班長。

 (7)  
 岡本三夫共同代表が声明書を読み上げます。
 (8)  
 抗議の「申し入れ書」は3ページ下に。
 (9)  
 

下に湯浅一郎さんからの前夜の、この日の緊急取り組みの呼びかけを

報告は次ページに

 (10)  

            

ピースリンクの湯浅です。

明日、午前、海田基地から、イラク復興業務支援隊の第三次要員として、数名の自衛隊員がクエートに向かって派遣されるために海田基地を出ます。これは、半年任務で行われているもので、サマーワの駐留部隊を支援するもののようです。担当部隊から出て行くため、第五次が中部方面隊であることから、13旅団から4名ほど、海田からは2名が出て行くとのことです。

 支援隊は、全体で100名規模で、中部方面隊から60人、残りは幕僚監部からで、サマーワやクエートで活動し、現地の委託業者や部族長などとの調整に当たると言われます。実質的に、イラク派兵の一部であることは間違いありません。

  ヒロシマが初めてイラク派兵に関わるという点で、ピープルズ声明として申し入れをしようと言うことになりました。
 そこで下記の日程で、海田基地への申し入れをします。時間のとれる方は来てください。

1月6日(木) 午後1:20 海田市駅南口 集合
(車で2台で移動)
1:30   海田基地への申し入れ