440−2.2012年4月28日、第14回グローバリゼーション講座「ノーニュークス・アジアフォーラム2012韓国参加報告」(11)〜(20)
   
 (11)沢村和世さん(原発いらん!下関の会代表)から   
 

下にこの日の報告の要旨、掲載

 

 

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   長年、下関で地道にかつ幅広く原発反対運動をされており、チェルノブイリ、韓国、台湾などへも足を運んでおられます。特に韓国にはこれまで何度も訪問され、深い連帯のネットワークを作っておられるのます。

(13) 

 
   お話しを聞いていたら、1977年の豊北原発計画の時が思い起こされました。あの時は「電産中国」の組合員が、「中国電力社員も原発には反対しています。」と言って回られて大きな反響を巻き起こしましたっけ。

(14) 

 
   

2012年4月でNO.201になる会報「むらさきつゆくさ」を配布されて説明されました。

 

 (15)   
   

この日は、40分もの参加者からの発言時間が設定され多くの参加者から様々な発言がとびだしました。「上関原発がストップしているのは強い反対運動のためというが、原発は人身事故だが、地震は自然事故、どう反対運動したら防げるのか?」等の発言もとびだしました。

右は木原省治さん(原発はいらないヒロシマ市民の会)

(16)原田二三子さん。 

 
   
 (17)賑やかな発言に応える渡田さんと沢村さん。    
   
 (18)西岡由紀夫さん(左)と掘啓子さん(右)。    
   
 (19)  
   
 (20)沢村和世さん(「原発いらん!下関の会」代表)    
   

1936年生まれ。5歳の時から下関在住。1977年6月、豊北町(合併で今は下関)に原発計画が起こり、その反対運動に関わったのが、反原発との出会いで、その後、上関原発(1982年計画浮上)反対運動へと続く。1995年5月、「原発いらん!下関の会」を結成。現在、代表を務めて11年。月刊の会報「むらさくつゆくさ」が3月で200号となる。

 

   
              
   

 本日の講座参加に至るいきさつ

Ì ノーニュークス・アジアフォーラム
 それとの出会い
   ・2012年inコリアを垣間見て   資料・「むらさきつゆくさ」201号

Ì 反原発運動との出会いから今日まで
   ・豊北(ほうほく)原発計画浮上   1977年 (実質的には1年で決着)
   ・上関(かみのせき)原発計画浮上  1982年
   ・「原発いらん!下関の会」結成    1995年
   ・福島第一原発で「原発震災」発生  2011年 
(上関原発計画は埋め立て準備工事中断。2012年夏頃、国が方針を提示というが)

 Ì 海外訪問の中で、とくに反原発運動とのかかわりでみる
       ・ ベラルーシ(チェルノブイリ原発事故の被災国)        
           1996年  1997年  2003年        
              スタディツアー。医療支援組織のスタッフとして。

             「アレクセイと泉」の現地上映会に同行。 

          
       ・ 台湾   2000年                      
           金山(第1)原発、国聖(第2)原発
           建設中断中の龍門(第4)原発を見る


       ・韓国   20回以上の訪問の中でも特に印象的なプアンでの
           核廃棄物処分場反対闘争
           2003年  2004年  2005年

 Ì この国をどのような国にしたいか
  いま、この国の民としての生き方が問われている本日の講座参加に至るいきさつ