45−9.2002年11月20日.山口県庁岩国基地沖合い移設申し入れ(62)〜(69)

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 ここから質疑に入った。まず、湯浅が、「藻場・干潟の回復については、どこまで
重視し、どこまで本気でやる気があるのか?」と質問。港湾課長が「非常に大切な場であり、最大限の回復をせねばならないと考えている」と建前を話す。「では、提案されている回復事業によって、100%実現可能という保障はあるのか?」と問うと、まともな回答はない。「報告書には、どの様に書かれているのか?」。答えがないので、「私たちの見解」との関連で、「報告書自身が、(回復事業が)どこまでうまくいくかには、触れていないこと、そして、特に藻場の機能面からは、生息密度、草
丈、葉幅などの面で、人工的な回復によるものは、極めて劣っており、自然の藻場の8分の1程度の機能しか持たないことが、報告書の資料編に実験結果として入っているがどうか」と問うてみた。ここで詰めることはしなかったが、こういう見解を含めて十分検討すべきことを何度も提案した。
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   「他方で、埋立工事は続行し、藻場・干潟の本体をつぶす工事が始まっている。それを放置したまま、成功する保証の限りでない回復技術に依存して行くことは、おかしいのではないか?」と問い続けた。港湾課長は、くるしまぎれに「藻場・干潟の回復検討ができなければ、工事の凍結をするという条件として埋立認可したのではない」という答弁をくり返した。しかし、「それでは、結果としては工事でつぶされる
場は消えてしまった後に、回復事業もうまく行きませんでしたと言うことになる可能性があるのではないか。そういう選択をするとなると、本気で藻場・干潟の消滅を案じていることにはならないではないか。広島市が出島でやったように、まず、回復事業を先行させ、うまくいくことを実証的に示した上でつぶす行程にはいるのが、どう見ても筋ではないのか」とのやりとり。たまりかねて、基地対策課次長が「しかし、沖合移設事業は、県や市民の長年の悲願であり、藻場・干潟の大切さから凍結という話になるわけにはいかない」と横から割り込む。「長年の悲願と言うが、冷戦終結後になってきわかに埋立が出てきた背景は、悲願の話を政府が聞き入れたということではなく、もっと別の要素が絡んでいると見るのが当然である」と切り返した。
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 埋立工事は続けたまま、他方で平行して藻場・干潟の回復措置を考える県の姿勢には、全く納得がいかなかった。筋が通っているのは、私たちの側であることが、報道陣も含めて浮き彫りになったのではないか。一通り終えた後、佐々木県議が、「長年の悲願だから、藻場・干潟も大事だが凍結するわけには行かないと言うのはおかしいのではないか。宇部の橋の問題でも、確かに長年の悲願だったが、そこに生息するトンボの重要性から、計画そのものを見直すという議論がなされているではないか。県としての政策の整合性を取ってもらわねば困るよ」とうなづける質問が飛んだ。こうして予定より15分オーバーして、交渉は終えた。(湯浅一郎)
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