原爆遺跡の保存が叫ばれるようになった直前、千田町の貯金局の建物は取り壊されてしまいました。あの日、暗闇の地下室でかけがえのない生命の誕生が得られたのは、余りにも有名です。あの「生ましめんかな」の舞台は、詩碑と共にここに移されました。命をかけて生み出した新しい命は、今年(2013年夏)で68才。
左の中国郵政局の前庭にある碑文には「焦げつく太陽の下、炎に追われながら水をもとめてさまよい歩く被災者は数しれず・・・」と刻まれています。苦悶の人のため、池をしつらえた碑はここが最初でした。(日赤の新しい碑が水を配置しています)
関係の郵便局は市内に散在し、犠牲者の数も五百を超えるといいます。焦熱地獄の中に散った本局員288人をはじめ、全て合祀されています。
郵政の人の話では、ここは、聖なる地として大切にしているとのこと、「何してるのか」など色々聞いたりして失礼に思われるかも知れないが趣旨を理解して欲しいとのことです。
写真は2013年4月3日撮影。 |