14.郵政関係職員慰霊碑(中区東白島町19−8・郵政日本グループ広島ビル前庭)
   
 

原爆遺跡の保存が叫ばれるようになった直前、千田町の貯金局の建物は取り壊されてしまいました。あの日、暗闇の地下室でかけがえのない生命の誕生が得られたのは、余りにも有名です。あの「生ましめんかな」の舞台は、詩碑と共にここに移されました。命をかけて生み出した新しい命は、今年(2013年夏)で68才。

左の中国郵政局の前庭にある碑文には「焦げつく太陽の下、炎に追われながら水をもとめてさまよい歩く被災者は数しれず・・・」と刻まれています。苦悶の人のため、池をしつらえた碑はここが最初でした。(日赤の新しい碑が水を配置しています)

関係の郵便局は市内に散在し、犠牲者の数も五百を超えるといいます。焦熱地獄の中に散った本局員288人をはじめ、全て合祀されています。

郵政の人の話では、ここは、聖なる地として大切にしているとのこと、「何してるのか」など色々聞いたりして失礼に思われるかも知れないが趣旨を理解して欲しいとのことです。

写真は2013年4月3日撮影。
   
 

右は「うましめんかな」詩碑

 右側には、1989年3月取り壊された広島貯金局の被爆屋上タイルと原爆詩人栗原貞子さんの詩が刻み込まれています。そばに「被爆アオギリ2世」が1995年植えられました。(8月6日には慰霊式があるのでそのつもりで)

2013年4月3日撮影。

 
   

生ましめんかな

こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちは 

ローソク一本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。

生まぐさい血の匂い、死臭

汗くさい人いきれ、うめきごえ 

その中から不思議な声がきこえて来た。 

「赤ん坊が生まれる」というのだ。 

この地獄の底のような地下室で 

今、若い女が産気づいているのだ。 

マッチ一本ないくらがりで 

どうしたらいいのだろう 

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です、私が生ませましょう」

と言ったのは 

さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくてくらがりの地獄の底で 

新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は 

血まみれのまま死んだ。

生ましめんかな 

生ましめんかな 

己が命捨つとも          

一九四五年八月 栗原貞子

   
 
   
 

平和公園内にある被爆アオギリはここで被爆したものです。建物の下敷きになりながら、奇蹟的に救出され、このアオギリの下で寝かされ、大腿部切断という被爆の障害にもめげず、熱心に平和運動に取り組まれてきた沼田鈴子さん(2011年7月12日亡)が被災され手術されたのはここです。

被爆アオギリ2世 

1995年夏、郵政局に植えられた被爆アオギリ2世。今、全国にその平和の種が送られ,育っている。郵政局の人の説明を受けているところ。フィールドワークの様子はテレビで特集されました。

今はこの樹はすっかり生長し、もう2本植えられています。