D 日清戦争中国人捕虜の墓
   
 

注目されるのは、慈恩塔の前にある四基の小さな墓です。故浮虜徐萬得墓、故軍属清人王殿清墓、故軍右営歩兵張丈盛墓という文字が読み取れます。明治二十七、二十八年 没となっています。日清戦争時の中国人捕虜の墓ということです。慈恩塔建設の意味はそれでおぼろげながら判るでしょう。ただ、日本兵の墓よりずっと小さいのが気になります。

   あの「天は人の上に人をつくらず・・・」の福沢諭吉も当時唱えたという「脱亜入欧」のもとでのアジアの人に対する蔑視が、同じ捕虜の墓である、隣のドイツ人墓と比べてもうかがえます。 

   台湾は日清戦争後、日本に割譲され、翌年から日本の植民地となり、日本は始めて植民地を持つ帝国の仲間入りを果たしました。この時、多くの台湾人犠牲者が出たことも 忘れてはいけません。

写真は2013年4月3日撮影。