H ドイツ人の墓(第一次大戦)
   
   

説明文を読んでみます。

このお墓は大正三年、日独戦役に於いて広島市にて病没されたドイツ軍人を弔ったもので、没後四十余年広島市民にしたしまれ日本墓地と共にしておりますが、昭和二十年八月原爆のため破損しましたものを現在修復完了しております。

ドイツ人捕虜の墓だから、フランス人墓より小さいのが判るでしょう。フランス人の墓と真反対の歴史の皮肉を持った墓といえます。

1914年第1次世界大戦は、青島で日本軍はドイツ軍と戦争、勝利して、ドイツ軍捕虜4697人、内似島に723人収容しました。なお、1919年似島のドイツ人捕虜チームと広島高師、県師のサッカーチームとの 試合が、日本サッカーの初めての対外試合と言われています。

30年ぐらい前までは似島中学校のサッカークラブは県下一の実力、そしてサンフレッチェの前身、東洋工業(現マツダ)のサッカーも日本一でした。

左の写真は2013年4月3日撮影。
   
 右の写真は1996年8月、沼田鈴子さんに会いに来たドイツ人少年が、この比治山陸軍墓地を訪問。「戦争責任」に強い関心をもっておられた記憶があります。

※ドイツ軍捕虜の数値、本により色々説があるようですが、このホームページでは基本的に「空 辰男著、加害基地宇品、1994年」の記載を基にしています。