生ましめんかな
こわれたビルディングの地下室の夜だった。
原子爆弾の負傷者たちは
ローソク一本ない暗い地下室を
うずめて、いっぱいだった。
生まぐさい血の匂い、死臭。
汗くさい人いきれ、うめきごえ
その中から不思議な声がきこえて来た。
「赤ん坊が生まれる」というのだ。
この地獄の底のような地下室で
今、若い女が産気づいているのだ。
マッチ一本ないくらがりで
どうしたらいいのだろう
人々は自分の痛みを忘れて気づかった。
と、「私が産婆です、私が生ませましょう」
と言ったのは
さっきまでうめいていた重傷者だ。かくてくらがりの地獄の底で
新しい生命は生まれた。
かくてあかつきを待たず産婆は
血まみれのまま死んだ。
生ましめんかな
生ましめんかな
己が命捨つとも
1945年8月 栗原貞子
米寿を迎えた栗原貞子さんと「アオギリの語り部」沼田鈴子さんが、「うましめんかな」の赤ちゃんのモデル女性を囲んで。(2001年3月)
残念ながら、栗原貞子さんは2005年3月6日、92歳の「反戦」で貫かれた生涯を閉じられました。沼田鈴子さんも2011年7月12日、87歳で亡くなられました。
右の写真は2001年3月4日。栗原貞子さんの米寿を祝う会にて。
下にご冥福を祈り、栗原貞子さんの代表作の一つ『ヒロシマというとき』 を掲載させていただきます。
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