24.広大理学部1号館                 (中区東千田町一丁目6−1) 
   

元広島大構内奥には、被爆建物の理学部一号館が残っています。 いまの広島大学の敷地内に当時包括されていた前身諸学校は、広島文理科大学・広島高等師範学校・同付属中学校・同付属国民学校(ちなみに芹洋子さんの歌われている「坊がつる賛歌」という歌は「広島高師の山男」という名前で、広く知られるずっと前から広大生のあいだで歌われていました。どちらが原曲ですかな?)、その他に付属施設として、図書館・西記念館・事務室・理論物理学研究所・淳風寮(寄宿舎)などがありました。

文理大(現理学部一号館)と付属国民学校は鉄筋コンクリート建て、その他は木造二階建ての建物でした。  

 
   
 被爆時、広島文理科大学の建物の2・3階は中国総監府(中国5県の国の出先機関・県庁を統括するものとして、1945年6月10日ここに設置された)に明け渡されており、大学が自由に使用出来たのは1階部分だけでした。大学は爆心地から南南東約1.5Km離れたところにあり、原爆の炸裂と同時に、校舎は一瞬の内に全壊、大破し、木造部分は全面的に火災で焼失、コンクリート部分も内部が大部分焼失しました。現在では公園になっており、この建物だけが寂しく残っています。この地の活用法が議論され、一部は民間に売却されました。
   
 

2013年1月17日読売新聞ホームページに広島市が買い取り検討、と報道されていました。